元暁

新羅の華厳宗の僧侶 From Wikipedia, the free encyclopedia

元暁がんぎょう[1]、或いはげんぎょう[2]ハングル表記 원효、本名:薛思、 諡号:和諍国師617年 - 686年[1])は新羅華厳宗僧侶である。新羅浄土教の先駆者。俗姓は、名前は誓幢、新幢である。

ハングル 원효
漢字 元暁
発音: ウォニョ
日本語読み: がんぎょう、げんぎょう
概要 元暁, 各種表記 ...
元暁
元暁の画像
各種表記
ハングル 원효
漢字 元暁
発音: ウォニョ
日本語読み: がんぎょう、げんぎょう
ローマ字 Won hyo
English: Won hyo
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ハングル 설사
漢字 薛思
発音: ソルサ
日本語読み: せっし
概要 薛思, 各種表記 ...
薛思
各種表記
ハングル 설사
漢字 薛思
発音: ソルサ
日本語読み: せっし
ローマ字 Sul sa
English: Seol Sa
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人物

新羅の押梁郡(現在の慶尚北道)に生まれ、29歳のときに皇龍寺で出家[3]興輪寺の法蔵に華厳を学ぶ。教学と論争に優れた人物であった[3]。650年, 義湘と共にに渡ろうとしようとしたが、高句麗軍に阻まれ失敗した[1]。661年また義湘と唐に渡ろうとしようとしたが、党項城の古塚にとどまっているときに喉の渇きを覚え、偶然に枕元にあった水を飲んだ。よく見ればその水は骸骨に溜まったものだった。そこで元曉は「真理は遠くにあるものではない。枕元で甘く飲めた水が、起きた後に骸骨に溜まっていたことを知った時、気に障り吐きたくなった。だが、世の中への認識は心にこそある」と悟って帰って来た[1]。その後は華厳学の研究に専念し、240巻もの著作を成した。

ある日、元曉が街で「誰許沒柯斧 我斫支天柱」という歌を歌った。誰も意味が分からなかったが, 武烈王だけは意味を理解し未亡人だった瑤石宮の公主を嫁がせ、彼女は薛聡を生んだ。その後、元曉は「小姓居士」と名を変えて、芸人が与えた瓠に「無碍」[注 1]という名を付けて、歌を作って仏教を庶民に普及させた[4]

弟子の審祥日本に華厳宗を伝えたため、東大寺を始めとする南都の諸寺院でもてはやされるようになり、高山寺にある『華厳縁起』には、元暁にまつわる様々な伝説が語られている。

著作リスト

  • 『大慧度経宗要』
  • 『法華宗要』
  • 『華厳経疏』
  • 『大涅槃経宗要』
  • 『解深密経疏』
  • 『大乗起信論疏』
  • 『大乗起信論別記』
  • 『大無量寿経宗要』
  • 『阿弥陀経疏』
  • 『弥勒上生経宗要』
  • 『菩薩瓔珞本業経疏』
  • 『梵綱経菩薩』
  • 『戒本私記』
  • 『菩薩戒本持犯要記』- 本書については、関連資料を網羅的に紹介している研究がなされている[5]
  • 『中辺分別論疏』
  • 『大乗六情懺悔』
  • 『発心修行章』
  • 『十門和諍論』
  • 二障義
  • 判比量論
  • 金剛三昧経論
    • 『元暁大師全集』(寶蓮閣、1979年)
  • 遊心安楽道』- 本書は、近年の研究で元暁仮託の偽撰書である可能性が指摘されている[6]

脚註

参考文献

関連項目

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