初瀬
奈良県桜井市の地名
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概要
泊瀬の名は『万葉集』巻7-1095に見ることができる。
三諸つく三輪山見れば隠口の泊瀬の桧原思ほゆるかも — 『万葉集』巻7-1095
この場所は大和川が東から大和盆地に流れ下る川口にあたり[1]、船舶による運搬が主だった上古の時代の船着場(=泊瀬)でもあった。これより上流は三輪山の南麓を東西に流れる隠遁とした長い谷となっており、万葉の歌はこの様子を詠んだものである。
泊瀬は東国との交通の要衝でもあり(初瀬街道)、古代の皇室が支配していたとされる土地である。後述の天皇の宮の他、御名入部である長谷部は、のちの飛鳥時代の皇族の諱に見られる。
初瀬は、古今和歌集と百人一首に選ばれた紀貫之の有名な「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」の詞書(ことばがき)に登場する。「初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かく定かになむ宿りは在る、と言ひ出して侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りて詠める」貫之が京都から奈良まで何度も長谷寺を参拝していたことがうかがわれる事跡である。長谷寺境内には、この歌碑と貫之梅がある。
