前立腺
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前立腺(ぜんりつせん、英: Prostate)は男性生殖器系の付属腺であり、筋肉により排尿と射精を切り替える機械的スイッチである。全ての哺乳類のオスに存在するが[1]、解剖学的、化学的、生理学的に種差がある。解剖学的には膀胱の真下に位置し、尿道が貫き、精嚢が隣接している。肉眼解剖学的には葉状構造を、組織学的には領域構造を特徴とする。弾性のある線維筋性被膜に囲まれ、腺組織と結合組織を含む。
前立腺は、男性の性的反応の射精時に放出される精液の一部となる液体(前立腺液)を産生・貯蔵する器官である。この前立腺液は弱アルカリ性で、乳白色から白色を呈する。精液のアルカリ性は膣管の酸性を中和し、精子の生存期間を延長する役割を果たす。前立腺内の平滑筋組織の作用により、前立腺液は射精液の第一段階で大部分の精子と共に排出される。主に精嚢液と共に排出される少数の精子と比較して、前立腺液中の精子は運動性が高く、生存期間が長く、遺伝物質の保護機能も優れている。
前立腺の疾患として、前立腺肥大、前立腺炎、感染症、癌などが知られている。「前立腺」(prostate)の語は古代ギリシア語: προστάτης(prostátēs)に由来し、「前に立つ者」「保護者」「守護者」を意味する。この用語はもともと精嚢を指すために用いられていた。
構造
前立腺は男性生殖器系の外分泌腺である。成人ではクルミほどの大きさで[2]、重さは通常7~16g(平均重量は約11g)である[3]。前立腺は骨盤内に位置し、膀胱の下方に尿道を囲むように存在する。前立腺を通過する尿道部分は前立腺尿道と呼ばれ、2本の射精管と合流する[2]。前立腺は前立腺被膜[訳注 1]または前立腺筋膜[訳注 2]と呼ばれる表面組織で覆われている[4]。
前立腺の内部構造は、「葉」と「(領)域」の両方で記述されてきた[5][2]。葉の記述や定義にはばらつきがあるため、域による分類がより広く用いられている[2]。
前立腺は下記のように3つまたは4つの領域から構成されると説明される[2][4]。辺縁域を外腺、移行域と中心域を内腺と呼ぶ場合もある[6][7]。領域は組織学検査や超音波検査・MRIなどの画像診断においてより明確に観察できる[2][5]。
| 呼称[8] | 成人での比率[2] | 概要 |
|---|---|---|
| 辺縁域[訳注 3] | 70% | 尿道遠位部を囲み、被膜の下に位置する腺の後部領域を指す。前立腺癌の約70~80%がこの領域に発生する[9][10]。 |
| 中心域[訳注 4] | 20% | 中心域は射精管を取り囲んでいる[2]。ミュラー管の痕跡器官である前立腺小室が存在する。中心域由来の前立腺癌は約2.5%に過ぎないが、これらの癌はより悪性度が高く、精嚢への浸潤を起こしやすい傾向がある[11]。 |
| 移行域[訳注 5] | 5% | 移行域は近位尿道を囲む領域である[2]。前立腺癌の約10~20%がこの領域に発生する。ここは生涯を通じて成長し、良性前立腺肥大症の原因となる領域である[9][10]。 |
| 前線維筋性間質[訳注 6] | N/A | この領域は、必ずしも領域とは見なされない[4]。通常腺組織成分を欠き、その名称が示す通り筋肉と線維組織のみで構成されている[2]。 |
「葉」の分類は、胎児期に決定され、解剖や内視鏡検査など肉眼で確認できる葉を指す[5][4]。前葉[訳注 7](または峡部[訳注 8])、後葉[訳注 9]、右外側葉[訳注 10]、左外側葉[訳注 11]、中葉[訳注 12](または正中葉[訳注 13])の5葉に区分される。
- 前立腺の領域
- 前立腺の葉
前立腺内部には、前立腺尿道に隣接し平行に走る二つの縦走筋系が存在する。前面(腹側)には尿道を拡張する筋肉(ラテン語: musculus dilatator urethrae)が走り、背面(背側)には尿道を射精状態に切り替える筋肉(羅: musculus ejaculatorius)が走行する[12]。
血管およびリンパ管の分布
前立腺は下膀胱動脈、内陰部動脈、中直腸動脈を介して血液の供給を受ける。これらの血管は膀胱と接する前立腺外面から進入し、前方に進み前立腺頂部へ向かう[4]。下膀胱動脈と中直腸動脈は共に、内腸骨動脈から直接分岐することが多い。膀胱に進入すると下膀胱動脈は尿道枝と被膜枝に分岐し、尿道枝は尿道前立腺に血液供給し、被膜枝は被膜周囲を走行し前立腺内に穿通する小枝により血液供給する[4]。
前立腺の静脈は、主にその前面および外面を囲む静脈網(前立腺静脈叢)を形成する[4]。この静脈叢は陰茎深背静脈からの血液も受け取り、分枝を介して膀胱静脈叢および内陰部静脈と接続している[4]。静脈は膀胱静脈を経て内腸骨静脈に流入する[4]。
前立腺のリンパ液排出先はその部位によって異なる。精管周囲、精嚢内の一部、前立腺後部表面からのリンパ管は、外腸骨リンパ節に流れていく[4]。精嚢の他の部位、前立腺リンパ管?、および前立腺前部からのリンパ管は内腸骨リンパ節へと流れる[4]。前立腺自体のリンパ管は閉鎖リンパ節および仙骨リンパ節に流入する[4]。
- 内腸骨動脈から起始する下膀胱動脈、内陰部動脈、中直腸動脈を示す。
- 外腸骨リンパ節と動静脈との位置関係
微小解剖

前立腺は腺組織と結合組織から構成される[2]。背の高い円柱細胞が腺の内層(上皮)を形成する[2]。これらは単層または偽複層構造を呈する[4]。上皮は非常に多様で、低い立方上皮または扁平上皮が存在することがある他、長い導管の外側領域には移行上皮が認められる[13]。通常の腺では基底細胞が管腔上皮細胞を取り囲んでいる。腺は多数の濾胞として形成され、濾胞は管へと流れ込み、その後12~20本の主管へ合流する。これらの主管は前立腺を通過する際に尿道へと注ぎ込む[4]。また腺の基底膜に隣接して少量の扁平細胞が存在し、幹細胞として機能する[2]。
前立腺の結合組織は線維組織と平滑筋からなる[2]。線維組織は腺を小葉に分離する[2]。また腺の間に位置し、膀胱と連続する無秩序な配向の平滑筋束から成る[14]。
時間の経過と共に、腺内にアミロイド小体と呼ばれる濃縮した分泌物が蓄積する[2]。
- 前立腺の顕微鏡像
- 前立腺の微細構造。内腔細胞(luminal cell)と周囲の基底細胞(Basal cell)を示す。H&E染色。
- 正常前立腺の組織学的所見(H&E染色、良性所見):腺は丸みを帯びるか不規則に分岐しており、内層は上皮細胞、外層は基底細胞で囲まれている。腺は豊富な間質に囲まれている。
- 前立腺の組織学的所見(H&E染色)。左から右にかけて徐々に進行する単純萎縮が認められる。細胞密集と角化は腺癌に類似するが、核は異型ではなく好塩基性を示し、時に基底細胞が観察される。
遺伝子と蛋白質発現
ヒト細胞では約20,000の蛋白質コード遺伝子が発現しており、そのうちほぼ75%が正常な前立腺で発現している[15][16]。このうち約150の遺伝子は前立腺でより特異的に発現し、特に約20の遺伝子は前立腺に高特異的である[17]。これに対応する特異的蛋白質は前立腺腺細胞および分泌細胞で発現し、精液の特性に重要な機能を有する。これには前立腺特異抗原(prostate-specific antigen; PSA)や前立腺酸性ホスファターゼなどの前立腺特異蛋白質が含まれる[18]。
発達
発生中の胚の後端には、総排泄腔と呼ばれる内陥部が存在する。これは第4週から第7週にかけて尿生殖洞と肛門管の原基に分化し、これら二つの内陥部の間に尿直腸中隔と呼ばれる隔壁が形成される[19]。尿生殖洞は三つの部分に分かれ、中央部は尿道を形成する。最も大きな上部は膀胱となり、下部は胚の生物学的性別に応じて変化していく[19]。
尿道前立腺部は、内胚葉起源の尿生殖洞の中間骨盤部から発達する[20]。胎生3ヶ月の終わり頃、尿道前立腺部分から突起が増生し、周囲の間葉組織へ侵入する[20]。尿道のこの部分の内層細胞は前立腺の腺上皮に分化する[20]。関連する間葉組織は、前立腺の緻密結合組織および平滑筋に分化する[21]。
間葉組織、尿道、ウォルフ管が一体化して、複数の腺性成分と非腺性成分が密接に融合した複合器官である前立腺が完成する。前立腺が正常に機能するには、男性の性徴を司る男性ホルモン(アンドロゲン)が必要である。主要な男性ホルモンはテストステロンであり、主に精巣で産生される。前立腺を主に調節するのはテストステロンの代謝産物であるジヒドロテストステロン(DHT)である。前立腺は加齢とともに肥大化し、30代まで成長を続ける[4]。
機能
射精
前立腺は精液の一部となる前立腺液を分泌する。前立腺液は精液の最大30%を占める。精液とは、男性の性的反応の際に尿道から放出(射精)される液体である[22]。精子は前立腺内に位置する射精管を経由して精管から男性の尿道へ送出される[22]。精液は主に陰茎亀頭への刺激により精管と精嚢の平滑筋が収縮することで、尿道へ送られる。この刺激により神経信号が内陰部神経を介して上部腰椎へ送られ、収縮を引き起こす神経信号が下腹神経を介して作用する[22]。尿道へ移動した精液は、球海綿体筋の収縮によって放出される[22]。この際尿道の近位側は閉じられるので、精液は膀胱に流入しない[23]。前立腺の分泌物には蛋白質分解酵素、前立腺酸性ホスファターゼ、線維素溶解酵素、亜鉛、前立腺特異抗原などが含まれている[4]。これらは精嚢からの分泌物と共に精液の主要な液体部分を構成する[4]。前立腺には亜鉛を含む様々な金属が含まれており[24]、射精時に放出される精液中の殆どの金属の主な供給源であることが知られている[25]。
排尿
前立腺は形状を変化させて排尿と射精の機械的切り替えを可能にするもので、主に前立腺尿道に沿って走る二つの縦走筋系によって駆動される。尿道前側にある尿道拡張筋(musculus dilatator urethrae)は排尿時に収縮し、前立腺を垂直方向に短縮・傾斜させることで尿道の前立腺部を拡張させる[26][27]。尿道後側にある筋肉(musculus ejaculatorius)は尿道を射精状態に切り替える[23]。
良性前立腺肥大症(BPH)などの手術の場合、これらの2つの筋系の損傷または温存の程度は手術の種類および選択された手技の詳細によって大きく異なる。術後の排尿および射精への影響もそれに応じて異なる[28]。
性的刺激
一部の男性は、前立腺マッサージや肛門性交など前立腺への刺激のみによってオーガスムに達することが可能である[29][30]。この為、前立腺に隣接する直腸壁の領域は、俗に「男性のGスポット」と呼ばれている[31]。
臨床的意義
炎症

前立腺炎は前立腺の炎症である。細菌感染やその他の非感染性要因によって引き起こされることがある。前立腺の炎症は排尿痛や射精痛、鼠径部痛、排尿困難、発熱や倦怠感などの全身症状を引き起こすことがある[32]。炎症を起こした前立腺は肥大し、直腸指診時に触れると圧痛を伴う。感染の起炎菌は尿培養検査で検出される可能性がある[32]。
急性前立腺炎および慢性細菌性前立腺炎の治療には抗生物質が用いられる[32]。慢性非細菌性前立腺炎、即ち男性慢性骨盤痛症候群は、α遮断薬、非ステロイド性抗炎症薬、アミトリプチリン[32]、抗ヒスタミン薬、その他の抗不安薬など、多様な治療法で対処される[33]。薬物以外の治療法としては、理学療法[34]、心理療法、神経調節剤、手術などが挙げられる。近年では、トリガーポイント療法と心理療法の併用がカテゴリーIII前立腺炎[35]に対しても有効であることが証明されている[33]。
前立腺肥大
前立腺肥大症(prostatic hyperplasia, prostatomegaly)の原因として最も多いものは良性前立腺肥大症(benign prostatic hyperplasia; BPH)である。BPHとは、悪性腫瘍以外の原因で前立腺を構成する細胞数が増加(過形成;hyperplasia)し、前立腺が肥大する疾患である。高齢男性に非常に多く見られる[32]。排尿困難が生じるほど前立腺が肥大した段階で診断されることが多い。前立腺が過度に肥大すると尿道を圧迫して尿流を妨げて排尿時に痛みや困難を引き起こし、一回に排尿できる尿量が減少して頻度が増加したり(頻尿)、重症例では全く排尿できなくなり尿閉を引き起こす[32]。慢性的な尿閉が長期間続くと膀胱が肥大し、尿が腎臓に逆流する(水腎症)場合がある[32]。
BPHは低侵襲手術や前立腺摘除術などで治療される。通常初回治療にはタムスロシンなどのα遮断薬を用い、平滑筋の緊張を弛めて尿道の尿流を容易にする[32]。症状が長引く場合は、手術の対象となる。経尿道的前立腺切除術により器具を尿道内に挿入し上部尿道を圧迫している前立腺組織を切除することが一般的である[32]。低侵襲手術には経尿道的針焼灼術や経尿道的マイクロ波高温度療法がある[36]。これらの外来処置の後に一時的なステントを挿入することで、刺激症状を悪化させることなく、通常の随意排尿が可能となる[37]。
前立腺癌
前立腺癌は英国、米国、北欧、豪州、日本[38]では高齢男性に最も多く見られる癌であり、世界中の高齢男性の死因として注目されている[39]。しばしば無症候性であるが、頻尿、尿意切迫感、排尿困難などの症状が現れることがある他、前立腺外に浸潤・転移した場合には体重減少、尿閉、背部痛なども起こり得る[32]。
初期の段階では直腸指診や前立腺特異抗原(PSA)の測定が行われるが、PSA値は癌に罹患していない患者で高い場合や癌患者で低い場合があり、解釈が難しい[32]。次の段階では、癌の病期や侵襲度を確認するために前立腺生検が実施される[32]。過剰診断のリスクがあり、通常の健康診断でのスクリーニングの実施の是非は議論が分かれている[40]。腫瘍が確認された際は、遠隔転移の有無を確認するためMRIや骨シンチグラフィーなどの画像診断を実施する[32]。
前立腺内のみに留まっている腫瘍は、しばしば前立腺切除術(単独/放射線併用)またはヨウ素125やパラジウム103を用いた小線源治療で治療される[41][32]。他の部位への転移がある癌に対しては、アンドロゲンによる増殖刺激を抑制するために通常ホルモン療法が用いられる。これには精巣摘除術に代えてGnRH遮断薬であるビカルタミドなどのGnRH調節薬が主に用いられる[32]。ホルモン療法に反応しない/治療後に再燃した癌腫の治療には、ドセタキセルなどによる化学療法が用いられる。骨転移巣による疼痛に対しては、放射線療法が用いられる[32]。
前立腺がんを治療しないという選択肢が採られることがしばしばある。癌が小さく転移がなければ、定期的に経過観察(積極的監視)をするだけで日常生活を送れる[32]。患者に衰弱などがあり平均余命が10年未満である場合には、治療による悪影響は想定される利益を上回る可能性がある[32]。
前立腺肉腫
肉腫もまた悪性腫瘍の一種であるが、狭義の癌が腺組織に由来するのに対し、肉腫は間質組織に由来する。前立腺肉腫は前立腺の悪性腫瘍の内0.3%程度を占める稀な疾患であり、比較的若い年齢層に発生すると言われており、進行が早い[42]。
前立腺切除術
前立腺(全)切除術((radical) prostatectomy)と呼ばれる手術は、通常転移のない癌腫または前立腺肥大症の治療に採用される手術である[43]。開腹手術と腹腔鏡手術に分類され[43]、どちらも全身麻酔下で実施される[44]。通常、癌に対する処置は根治的前立腺全摘除術であり、精嚢を摘出し精管も結紮する[43]。開腹手術では、会陰部に切開を加える場合と、臍から恥骨までの正中線に沿って切開するアプローチをとる場合がある[43]。リンパ節が侵されている疑いがあり、手術中にリンパ節を摘出または生検する必要がある場合は、開腹手術が好まれる[43]。会陰アプローチでリンパ節摘出を伴わない場合は、術後の疼痛軽減と回復期間の短縮が期待できる[43]。
前立腺の一部を尿道内から切除することも可能で、これは経尿道的前立腺切除術(transurethral resection of the prostate; TURP)と呼ばれる[43]。TURPでは陰茎から尿道に挿入した管を用い、熱・電気・レーザーのいずれかの方法で前立腺組織を切除する[43]。
前立腺が全摘除された際の合併症として、尿失禁や勃起不全などが知られている。術中に神経を傷つけることが原因で、特に癌組織が神経に非常に近い位置にある場合に多い[43][44]。根治的前立腺切除術などにより精管が結紮され精嚢が摘出された場合は、オーガスム時に精液の射精は起こらない[43]。これにより男性不妊となる[43]。場合によっては、オルガスムが得られない、あるいは痛みを伴うことがある。前立腺内の尿道部分が切除された場合、陰茎の長さが僅かに短縮する可能性がある[43]。手術に伴う一般的な合併症として、感染症、出血、近傍臓器や腹部への偶発的損傷、血栓の形成などが発生することもある[43]。
トランス男性
数多くの研究で、トランス男性へのテストステロン投与中に前立腺組織が増殖することが記録されている。2022年の研究は「テストステロン療法中のトランス男性から採取した膣組織検体の100%(21例/21例)に前立腺化生が認められた」と結論付け、これは同様の研究と一致しておりこの増殖組織の存在が異常として認識されないよう、この分野での更なる啓蒙が必要であると指摘している[45][46][47][48]。
歴史
前立腺に相当する器官は日本では1818年の『重訂解体新書』に「攝護(せつご)」という名称で収載された[49][50]。この用語はオランダ語: Voorstander の訳語であり江戸時代末から使われていたが、昭和になってから日本解剖学会の用語委員会で「前位腺」という呼称が提案され[49]、1944年(昭和19年)[51]に配布された『解剖學用語』初版にて「前立腺」に統一された[49][52]。
前立腺はヴェネチアの解剖学者ニッコロ・マッサが1536年に著した『解剖学概論 (natomiae libri introductorius)』で初めて正式に同定し、フランドルの解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスが1538年に著書『六つの解剖図 (Tabulae anatomicae sex)』で図解した[53][5]。マッサは前立腺を「膀胱頸部を支える腺性の肉」と表現し、ヴェサリウスは「腺体」と表現した[54]。前立腺を表すのに「前立腺」に似た言葉を初めて用いたのは1600年のアンドレ・デュ・ローレンスで、彼はそれを当時の解剖学者がすでに使用していた用語として説明した[54][5]。しかし、この用語は少なくとも1549年にはフランスの外科医アンブロワーズ・パレにより使用されていた[5]。
当時、デュ・ローランは単一の二葉器官ではなく一対の器官と見做して記述しており、使用されたラテン語: prostatae は、精嚢を記述するために用いられた古代ギリシア語: παραστάται, parastatai の誤訳であった[54]。但し、古代ギリシャやローマの外科医は前立腺を解剖学的実体として認識していたはずだと主張されている[5]。「prostatores」(複数形)や文法的に正しい「prostator」(単数形)ではなく「prostatae」という語が採用されたのは、古代ギリシャ語のこの語の性が実際には男性であるのを女性と解釈されたためである[54]。
前立腺が二つではなく一つの器官であるという考えは、18世紀初頭頃に広く普及した。また、この器官を指す英語の用語「prostate」[54]は、ウィリアム・チェゼルデンに帰せられるものである[55]。エヴァラード・ホームが1811年に発表した論文『前立腺疾患の治療に関する実践的観察』は、中葉を含む前立腺の解剖学的部位を記述し命名したことで、前立腺の歴史において重要な意味を持つ[54]。前立腺が五葉から成るという概念は、アメリカの泌尿器科医オズワルド・ロウズリーが1912年に行った解剖学的研究を受けて普及した[5][55]。ジョン・E・マクニールは1968年に初めて「(領)域」という概念を提唱した。マクニールは成人の前立腺の切断面が比較的均質であり「葉」とは全く異なることを発見し、「域」という表現をするに至った[56]。
前立腺癌は外科医ジョン・アダムズが1853年にロンドン医学・外科学会で行った講演で初めて言及され[57][58]、19世紀後半にかけて次第に多くの症例が報告されるようになった[59]。当初は稀な疾患と考えられていたが、これはおそらく19世紀の平均寿命が短く、検出方法が未発達であったためである。前立腺癌の初期治療は、尿閉を緩和するための手術であった[60]。サミュエル・デイビッド・グロスが前立腺摘出術について初めて言及したとされているが、「真剣に検討するにはあまりにも不条理」とされた[61][59]。前立腺癌に対する最初の手術的切除(根治的会陰式前立腺摘出術)は、ジョンズ・ホプキンス病院のヒュー・H・ヤングが1904年に初めて実施した[62][59]。また、前立腺部分摘出は、テオドール・ビルロートが1867年に執刀した[55]。
経尿道的前立腺切除術(TURP)では陰茎勃起機能をより良好に温存できることから、20世紀半ばに閉塞症状の緩和を目的とした根治的前立腺全摘除術に取って代わった。恥骨後式前立腺全摘除術は1983年にパトリック・ウォルシュが確立した[63]。1941年にはチャールズ・B・ハギンズが、転移性前立腺癌患者においてエストロゲンを用いてテストステロン産生を抑制する研究を発表した。この「化学的去勢」の発見により、ハギンズは1966年にノーベル生理学・医学賞を受賞した[64]。
生殖における性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)の役割はアンドルー・W・シャリーとロジェ・ギルマンにより解明され、二人は1977年にノーベル賞を受賞した。その後GnRH受容体作動薬であるリュープロレリンやゴセレリンなどが開発され、前立腺癌の治療に使用された[65][66]。前立腺癌に対する放射線療法は20世紀初頭に初めて開発され、当初は前立腺内ラジウム植込療法が用いられた。20世紀半ばに強力なX線放射線源が利用可能になると、外照射療法(外部ビーム放射線療法)がより普及した。前立腺癌腫に放射線源を埋め込む近接照射療法は1983年に初めて報告された[67]。前立腺癌に対する全身化学療法は1970年代に初めて研究された。初期レジメンとしてシクロホスファミドと5-フルオロウラシルの組み合わせが用いられた後、直ぐに様々な全身化学療法薬を用いた複数のレジメンが追加された[68]。
ヒト以外の動物
前立腺は哺乳類にのみ見られる[69]。有袋類のオスの前立腺は、有胎盤類のそれよりも相対的に大きい[70]。単孔類における前立腺の機能性は議論の余地があり、仮に単孔類の前立腺が機能を持っていたとしても、他の哺乳類のように精液に貢献していない可能性がある[71]。
前立腺の構造は管状胞状腺(ヒトなど)から分枝管状腺まで多岐に亘る。食肉目[72]やイノシシでは特に発達しているが、ウシなどの他の哺乳類では小さく目立たない場合もある[73][74][75]。有袋類[76][77]や小型反芻動物などの動物では前立腺は散在性であり、明確な組織として特定できず、尿道の関連部分全体に分散して存在する。アカシカやアメリカワピチなどの他の動物では、特定の器官として存在する場合も散在性の形態をとる場合もある[78]。一部の有袋類では前立腺の大きさが季節的に変化する[79]。雄犬は1時間で人間が1日に分泌する量に相当する前立腺液を生成でき、この液体を尿と共に排泄し、縄張りを示す[80]。加えて犬はヒト以外に前立腺癌の発生率が顕著な唯一の種である[81]。クジラ類において前立腺は唯一の雄性付属腺であり[82]、強力な圧迫筋[83]に囲まれた散在性の尿道腺[84]から構成されている。
前立腺は尿道壁の組織から発生する[85]。これは、排尿に用いられる圧縮可能な管である尿道が前立腺の中央を貫通していることを意味する。前立腺の肥大は尿道を圧迫し、排尿が遅くなり痛みを伴うようになる[86]。
前立腺分泌物の成分は種によって異なる。一般には単糖類を含み、しばしば弱アルカリ性である[87]。真獣類では通常、果糖を含む。有袋類の前立腺分泌物には通常、果糖でなくN-アセチルグルコサミンまたはグリコーゲンが含まれる[88]。

