尾張国の土豪前野家の前野宗義の嫡男として正平5年 / 観応元年(1350年)に生まれる[1]。前野小次郎兵衛高康を名乗った[1]。
右京職に所属した[1]が、職員の階級は明確に分かっていない[1]。
織田信広(常松、織田郷広)が尾張守護斯波氏の守護代として越前から尾張に入国した際、上郡十家の一つとして仕えた[1]。高康が守護代織田家に早くから仕えたことで、土岐氏の横領を受けて失った本貫の領地を取り戻し、その後しばらく前野家の領土は安堵された。
応永25年(1418年)2月16日、死亡する[2]。
六歌仙の一人である遍昭僧正の子孫にあたるといわれる[3][4]。