劉伯姫

From Wikipedia, the free encyclopedia

劉 伯姫(りゅう はくき、生没年不詳)は、中国後漢の初代皇帝光武帝(劉秀)の妹。荊州南陽郡蔡陽県(湖北省棗陽市)の人。後漢建国の功臣李通の妻。兄の即位後に寧平長公主(または寧平公主)に封じられた。父は劉欽。母は樊嫺都。姉は劉黄・劉元。兄は劉縯劉仲・劉秀。子は李音・李雄だが、いずれも伯姫の子かは不明である。以下、本記事では「伯姫」とする。

続柄 光武帝の妹
全名 劉伯姫
称号 寧平長公主
身位 長公主
概要 劉伯姫, 続柄 ...
劉伯姫
続柄 光武帝の妹

全名 劉伯姫
称号 寧平長公主
身位 長公主
配偶者 李通
子女 李音
李雄
父親 劉欽
母親 樊嫻都
テンプレートを表示
閉じる

事跡

地皇3年(22年)末の小長安聚(南陽郡育陽県)の戦いで、兄の劉縯らの軍が新軍に大敗した際、伯姫は劉秀に救われ、共に騎乗して逃走する。途中、2人は姉の劉元とその3人の娘を見つけたが、劉元が足手纏いを恐れて救助を断り、劉元とその娘たちは軍の犠牲となってしまった。

更始2年(24年)2月、李通が更始帝(劉玄)から西平王[1] に封じられ、荊州の鎮撫を命じられると、伯姫は李通の妻となった。建武元年(25年)6月、劉秀が光武帝として即位し、洛陽を京師とすると、陰麗華が侍中傅俊によって迎えられ、姉の劉黄と共に伯姫も諸々の宮人と洛陽に至る。李通も召されて劉秀の下に参じている[2]。建武2年(26年)、伯姫は寧平長公主に封じられた。

その後の伯姫の事跡は定かではないが、特にそれ以上の史書の記述が見当たらないため、政界に関与しなかった可能性が高い。夫の李通も、光武帝の義弟という身分を得たものの、常に謙虚で慎み深く、権力からは遠ざかる意思が強かった。

参考文献

  • 後漢書』列伝4斉武王縯伝
  • 同列伝5李通伝、鄧晨
  • 同本紀10上光烈陰皇后伝

脚注

関連記事

Related Articles

Wikiwand AI