唐の龍紀元年(889年)、劉知謙と側室の段氏との間の子として生まれた。劉知謙の正室の韋氏は嫉妬深く、段氏を殺害したが、段氏が生んだばかりの劉巌を養子に迎えた。
後梁の乾化元年(911年)に兄の劉隠が死去したため、その後を継いで南海王・静海軍節度使となった。917年(後梁の貞明3年)には国号を「大越」、元号を乾亨として皇帝に即位する。乾亨2年(918年)には国号を「漢」と改めた。
白龍2年(926年)には諱を巌から龑と改めた。「龑」の文字は自身が考えたもので「天駆ける龍」を表しており、則天文字を参考にしたと考えられている。
大有15年(942年)に崩御、享年54。後を三男の劉弘度が継いだ。