勝部神社

滋賀県守山市勝部にある神社 From Wikipedia, the free encyclopedia

勝部神社(かつべじんじゃ)は、滋賀県守山市勝部にある神社。旧社格郷社。正式名称は物部郷総社 勝部神社。戦前までは物部神社または物部大明神、勝部大明神と称されていた旧物部郷の総社である。

所在地 滋賀県守山市勝部1丁目8-8
位置 北緯35度3分3秒 東経135度59分26.5秒
主祭神 物部布津神(天火明命宇麻志間知命布津主神
概要 勝部神社, 所在地 ...
勝部神社

拝殿(手前)、本殿(奥)
所在地 滋賀県守山市勝部1丁目8-8
位置 北緯35度3分3秒 東経135度59分26.5秒
主祭神 物部布津神(天火明命宇麻志間知命布津主神
社格郷社
創建 伝・大化5年(649年
本殿の様式 三間社流造
主な神事 1月第2土曜日(松明祭)
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顕彰殿

祭神

歴史

社伝によると、大化5年(649年)8月13日に領主であった物部宿禰広国(もののべのすくねひろくに)が物部郷勝部村の現在地に物部郷の総社として祖神を祀り、物部大明神と称したのが当社の起源とされている[1]

仁寿元年(851年)正月には正六位上を、元慶元年(877年)には従五位下の神位を授かり、この頃には布津社と呼ばれていた[1]

室町時代には一般の人々からの崇敬も一層高まり、特に祭神が武神であったことから近江守護六角氏より篤い信仰を受けている。六角軍が出陣する際にはその旗竿は決まって当社の竹林の竹を使用するほどであった[1][2]。三間社流造檜皮葺の本殿は明応6年(1497年)に六角高頼の寄進により再建されたものである[1]

元亀年間(1570年 - 1573年)には織田信長野洲郡栗太郡の起請文60通を当社に納めている[1]文禄3年(1594年)8月には豊臣秀次によって神田の寄進と本殿の修理が行われた[1]

江戸時代には当地一帯に守山宿が設けられ、宿場町とともに隆盛した。

1913年大正2年)に国の特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定されている。

江戸時代まで当社は物部神社または物部大明神と呼ばれてきたが、明治時代の初めに勝部神社に改めている。1931年昭和6年)に郷社に列せられている[3]

境内に鎮守の森を有している。

境内

  • 本殿(重要文化財) - 明応6年(1497年)に六角高頼によって再建。三間社流造[4]、檜皮葺。内陣両側の縁が一段高くなっており、正面に付けられた向拝の部分に優れた彫刻の手挟(てばさ)みがある[2]
  • 拝殿
  • 祓所
  • 鐘楼 - 神仏習合時代の名残である。
  • 社務所

摂末社

  • 産土社
  • 顕彰殿 - 顕彰殿と忠魂碑は郷土出身の戦没者の霊を安めるための施設として太平洋戦争前に建立されたもの。

文化財

重要文化財

滋賀県選択無形民俗文化財

  • 松明祭 - 通称「勝部の火祭り」。800年の歴史を持つ滋賀県の三大火祭りの一つ。毎年1月第2土曜日に行われる[4]。大蛇に見立てた松明に一斉に火を放ち、燃え盛る炎の前で無病息災を願って褌姿の若者が乱舞する[2]。保存団体は勝部神社松明組。

祭事

  • 1月第2土曜日 - 松明祭。
  • 6月30日 - 夏越の祓(なごしのはらえ)。もしくは水無月の祓(みなづきのはらえ)とも呼ばれる。

所在地

  • 滋賀県守山市勝部1丁目8-8

アクセス

脚注

外部リンク

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