北キヴ州
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概要
歴史
1990年代初頭のルワンダ紛争、イトゥリ紛争の影響を受け、第一次コンゴ戦争及び第二次コンゴ戦争の主要な舞台となった。特に東部はローラン・ンクンダ率いるルワンダ系のコンゴ民主連合ゴマ派 (RCD-G) の拠点とされ、1990年代後半の第二次コンゴ戦争時にはルワンダ軍に占領された。ンクンダは武器禁輸措置を破り、国連安保理の経済制裁の対象者に指定されたが[3]、コンゴ民主連合および人民防衛国民会議を組織し、少年兵の徴発を続けるなど反乱を継続したが2000年代後半には組織が瓦解した。
2017年12月7日、北キヴ州に展開していた国際連合コンゴ民主共和国安定化派遣団 (MONUSCO) の拠点が民主同盟軍 (ADF) と思われる勢力に襲撃を受けた。襲撃によりタンザニア、コンゴなどからのPKO要員15人以上が死亡[4]。
2018年段階でも政府軍、民兵、自警団、反政府組織が入り乱れての武力紛争が激化している。州内では2018年2月、コンゴ軍が関与した紛争だけでも106人が死亡し、80人が拉致されている[5]。11月には州内でエボラ出血熱の患者数が拡大し、世界保健機構から派遣された緊急対応チームが州内の都市(ベニ)に展開したが、宿舎の目の前でPKO部隊と民主同盟軍との間で銃撃戦が発生。緊急を要する医療活動が停滞する事態となった[6]。
2019年2月27日、ブテンボに開設されていたエボラ治療センターが度重なる襲撃を受けて閉鎖。治療センターは、体制を整えて翌月3月2日に再開したが、同月9日は再び武装勢力が襲撃を行い警察官1人が死亡、医療従事者1人が負傷した。現地警察は、襲撃を掛けてきた武装集団をマイマイと断定している[7]。
2021年2月22日、ゴマからルチュル地区に移動していた国際連合世界食糧計画(WFP)の自動車が武装グループから襲撃を受け、同行していたイタリア大使など3人が死亡[8]。
2021年5月22日、北キヴ州にあるニーラゴンゴ山が噴火。州政府の命令によりキヴ湖周辺地域住民40万人が避難命令を受ける。現地で活動する日本のNGO団体なかよし学園は火山噴火の一報を受け募金活動を開始、日本国内で集めた200万円の義援金を送金し被災地で水、食料、毛布の配給を行なった。また同年8月にはなかよし学園中村代表とメンバーが現地入りし支援活動を行うと共に、度重なる災害に日本の防災を紹介し防災教育を行う防災学校を設立した。[9]同学校には桜島のある鹿児島県鹿児島市、雲仙・普賢岳のある長崎県島原市が協力し、日本の防災技術や避難訓練の方法をコンゴに伝えた。[10]同学校をはじめとする活動が認められ2022年4月に中村は北キヴ州知事を表敬訪問し北キヴ州の親善大使となった。
国際連合人道問題調整事務所(OCHA)が2022年7月21日に公開した報告によれば、北キヴ州、南キヴ州、そしてイトゥリ州などコンゴ民主共和国東部では民主同盟軍(ADF)をはじめとする約120の反政府勢力が活動している[11]。特に北キヴ州はイトゥリ州と共に反政府武装勢力を鎮圧する名目で2021年5月6日以降、軍と警察に完全な権限が与えられ州政府が運営されており、事実上の戒厳状態にある。この措置は当初は30日間限定であったが以降も議会によって15日ずつ延長を繰り返しており、2024年2月現在に至っても継続されている。しかし紛争の鎮圧に効果があったとは言い難く、2020年4月から2021年5月までの間に国軍と武装勢力との衝突は約400件、それによる民間人殺害が1,374人だったのに対し、戒厳状態となった2021年5月から2022年4月までは約600件、2,500人以上と悪化している[12]。
2023年には批判もある中、フェリックス・チセケディ大統領はペテル・チリムワミ(Peter Cirimwami)少将を州知事に任命し、軍政を敷いた。しかしチリムワミはチセケディ大統領の意に反し、3月23日運動(M23)との戦いのため武装グループ・ルワンダ解放民主軍(FDLR)と手を握った。2025年に入り軍政とM23との戦闘が激化し、1月23日にチリムワミ州知事がM23の戦闘員に殺害されるに至った[13]。1月27日にはM23が州都ゴマの制圧を宣言した[14]。1月31日、エヴァリスト・カクレ・ソモ(Evariste Kakule Somo)少将が州知事に就任した。ソモ知事は一時的に州都をゴマからベニに移すと発表した[1]。
