袢纏
襠 がない、丈の短い上着
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形式
歴史
江戸時代の天保年間に女性の羽織の着用が禁じられたため広く着られるようになった[3]。庶民は防寒着としても着用した[4]。
また、印袢纏(印半纏)は雇主が使用人や出入りの職人に「仕着せ」として与えた[3]。特に職人では大工や左官などが日常着として着用した[4]。出入りの職人が着る例としては、庭師が仕事を頼まれた際に普段の仕事着の上にその店の印袢纏(印半纏)を着て仕事をするような場合である[5]。そのため通い半纏(通い袢纏)とも称された[5]。通いの店で繁忙期(初荷や暮れ)あるいは祝儀や不祝儀によって人手が必要になったときは、これを着て手伝いに参加することもあり、特に不祝儀の際には印袢纏(印半纏)を着て参列した[5]。
江戸時代、法被は民間のものとして発達してきたものではなく、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、それが明治時代になっても官員などの生活の中に受け継がれてきた[6]。
印袢纏(印半纏)は仕事着としては昭和40年代から減っていったが、その伝統は祭半纏に残されており、背中に家紋や地名などを白く染め抜いている[3]。
