原田宗介
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生涯
日本国歌『君が代』との関係
明治2年(1869年)7月、英国王子が来日する際に、各藩から英語に堪能な人間が選ばれ、薩摩藩からは原田、静岡藩からは乙骨太郎乙が接待係に任命された[2]。
準備が進んでいる中、フェントンから「儀式の中で日英両国の国歌を演奏する必要があるが、日本の国歌はいかなるものか」という問い合わせがあった[2]。この時、日本には国歌が存在していなかったため、これについて川村純義に指示を仰いだが、川村は「総て任せてあるのだから手落ちないように処遇せよ」と丸投げした[2]。
原田は乙骨と相談し、江戸時代の毎年元旦に大奥で施行されていた「おさざれ石」の儀式で唄われていた歌に「君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」という歌詞があり、琵琶歌中の蓬莱山という古歌にも同じ歌詞があるということで、これを歌詞に決めた[2]。メロディーは、原田が蓬莱山を歌ったのをフェントンが聴き、採譜した[2]。
ただし、『君が代』の誕生については諸説ある[2]。