去卑
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生涯
興平2年(195年)、甥の持至尸逐侯単于於夫羅が死去し、その弟の呼廚泉が単于となると、その叔父である去卑は右賢王となる。11月、献帝が長安を脱出して洛陽に向う際、それを護衛する楊奉・董承らは白波賊帥の胡才・李楽・韓暹および南匈奴の右賢王去卑を招きよせ、迫り来る李傕・郭汜らを撃退して首級数千を挙げた。12月、ふたたび李傕らに追撃され、楊奉らは敗北する。その後、車駕はなんとか安邑まで逃れる。この間に、去卑の部伍のものによって蔡琰が拉致されたと言われる。
建安元年(196年)1月、献帝は安邑にて天下に大赦し、建安と改元した。7月、ようやく車駕は洛陽へたどりついた。その後、去卑らは天子を擁立した曹操の許昌への遷都にも随行した後、帰国した。
建安21年(216年)7月、単于呼廚泉が漢に入朝すると、魏公に就任した曹操は彼を鄴に抑留し、代わって去卑に南匈奴諸部を監督させた。