古第三紀

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古第三紀(こだいさんき、Paleogene period)は、6,600万年前から2,303万年前まで[1]にあたる新生代最初の紀である地質時代の一つ。漸新世、始新世、暁新世の3つの世に区分される。

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名称

英名「Palaeogene」は、「古い」「旧の」を意味する「palaeo」と、「起源」「由来」「系統」「種」などを意味する「gene」というギリシャ語が由来である[2]。この用語は、1866年、新第三紀との著しい相違を指摘した、ドイツ地質学C.F.ナウマンによって初めて使用された[3][4]。1865年、オーストリア古生物学者、モーリッツ・へルネスドイツ語版ウィーン盆地の岩石層を説明するために導入したとする資料もある[5]貨幣石が繁栄したため、フランスでは「貨幣石(ヌムライト)紀」と呼ばれることがある[4][6]

なお、日本語では2026年現在、「Paleogene」は 「古第三紀」と訳され[7]、2009年の新定義批准後も当面のこととして「第三紀」を含む訳が踏襲されている[7]。これに対して「古成紀」「古獣紀」など、訳語を改定するいくつかの提案がなされているが、方針化はまだなされていない[8][9]

大陸

ローラシア大陸は始新世の初めに北大西洋の拡大に伴い分裂し、北アメリカ大陸グリーンランドヨーロッパ大陸に分かれた。 ゴンドワナ大陸は、いくつかの大陸に分かれていた。オーストラリア大陸南極大陸はおよそ漸新世まで隣接していた[10]が、漸新世後期に分離し、オーストラリア大陸は北上しはじめた[11]白亜紀の末にアフリカ大陸の東にあったインド大陸は、北に向かって移動し始める。そして、約4000万年前にユーラシア大陸と衝突し、世界最大の山脈となるヒマラヤ山脈アルプス山脈の形成が開始された[12]アメリカ大陸では、北アメリカコルディエラから南アメリカアンデスに続く山脈が古第三紀に主たる造山運動で形成されはじめた[13]

古第三紀初期には、ローラシア大陸ゴンドワナ大陸の間にまだテチス海が存在していたが、インドアラビアアフリカの各プレートが北に移動するにつれて押し縮められていきつつあり、陸地も競り上がっていきアルプス山脈とヒマラヤ山脈ができあがり、テチス海もプレート同士の押し合いで最終的にはなくなってしまった[10]

古第三紀の日本列島は、大半が陸上で浸食を受けていたと考えられ、北九州や常磐、石狩、釧路などの炭田地帯に陸成、浅海成の地層群が分布するほかは、西南日本の太平洋岸にそって外洋性の地層群が分布するのみである[13]

気候

恐らく隕石の衝突の影響で、白亜紀の末に一時的に寒冷化した気候は[14]、初期の5800万年前~5000万年前には地球全体の温暖化が進んだ (暁新世-始新世温暖化極大)。しかし、その後寒冷化が進み、約3400万年前には南極大陸で氷河が発達するようになり、寒暖を繰り返したのち、その寒冷化は現在まで続いている[15]

生物相

古第三紀は哺乳類被子植物が多様化したことが特徴に挙げられる。古第三紀の生物相は、後発の新第三紀とは大きく異なり[10]、現生の生物と共通する種はきわめて少ない[4]。始新世後期の3650万年前、大量絶滅が起きている[13]

動物界

アンモナイト恐竜などの大量絶滅(白亜紀と古第三紀の間の大量絶滅)で、それらが占めていたニッチは哺乳類がかわって占有するようになった[13]ウマゾウの祖先が出現し、真生哺乳類の発展、大型化がみられる。古第三紀前半の哺乳類は小型のものだった[4]。以後、現在生息する哺乳類の多くの祖先が次々に出現し、適応放散していった。また、古第三紀の暖かく浅い海では貨幣石と呼ばれる大型有孔虫が繁栄し、示準化石となっている[15]鳥類は、白亜紀末の大絶滅を生き残ったものたちが、より現代的な姿へと進化し、特にスズメ類オウム類キツツキ類などが充実していく。現世のチョウの祖先も現れ、ハチやガなど花粉を運ぶ昆虫がそれまでの時代よりも一般的になり、被子植物昆虫の共生関係が広がっていく[14]

植物界

植物界では、中生代白亜紀に繁栄し始めた被子植物の発展が目立ち、気候が温暖だったため、高緯度地方でも亜熱帯植物がみられた[4]。また、針葉樹林が発達し、イネ科などの原生単子葉類が繁栄したのもこの頃である[14]。古第三紀と、後発の新第三紀を通じてツンドラ、針葉樹林、落葉樹林草原熱帯雨林という主要な植物区分がはっきりと確立されるようになった[10]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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