古箏
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構造
起源
春秋戦国時代には琴(古琴)・瑟・筑などの撥弦楽器が存在した。このうち瑟は雁柱(琴柱)を持ち、箏に似る。
箏は春秋戦国時代の秦に起源を持ち[2]、そのため「秦箏」とも呼ばれた[3]。李斯による紀元前237年の上書のなかに秦の音楽の特徴として「弾箏」が見える[4]。
箏の起源については秦の将軍である蒙恬が造ったという伝説がよく知られる[5]。
箏という名称については、鳴らした時の「箏箏」という音に由来するという[6]。唐代以降の伝説として、25弦の瑟を兄弟(文献によっては姉妹または親子)で争い、2つに分けたのを箏の起源とする伝説もあるが[7][8]、これは「箏」という名称を説明するために作られた説話であろう。
伝播
楽器の改変

中国の箏は年代を経るごとに改変が加えられてきた。漢・晋では12弦だったが、唐・宋では13弦が主流になり、明・清ではさらに15・16弦に増えた[2]。近代では18、21、25弦のものが演奏されるようになった。それ以上の本数の弦を持つ箏も作られたことがある。
箏は移調が難しい楽器であるため、その欠点を克服するために上海音楽学院の何宝泉によって蝶式箏という箏が発明された。この箏は左右対称に49弦を持ち、4オクターブのすべての半音を出すことができる。左半分は通常の21弦の箏とほぼ同じ形をしている。
弦の種類も、もとは絹の弦を使用していたが金属弦を使用するようになった。楽器の形も運搬の利便などの理由から大胆な小型化がはかられている。中国においてダイナミックな楽器の改変が行われた結果、古い時代に周辺諸国へ伝播し継承された楽器のほうが、古いかたちを残している場合がある[9]。
