汗国

ハーン(可汗)によって統治される政治的主体 From Wikipedia, the free encyclopedia

汗国(かんこく、ハンこく、Khanate)は、(カン、ハン、qan)[注釈 1]を君主とする君主国を指す用語である。君主号としての「カン」「ハン」はモンゴル高原から中央アジアを中心とした、テュルク系およびモンゴル系遊牧民王朝でよく用いられたが、モンゴル帝国時代以降、ジョチ・ウルス崩壊の影響を受けて、中央アジア以西のキプチャク草原ルーシカフカス(コーカサス)などの地域にも広がった。

概要

君主号としての汗

「カン/ハン(qan)」は「皇帝」という意味の「カガン/カアン/ハーン(qaγan)」とは違い、皇帝より格下の「王」という意味である[1]。モンゴル帝国では皇帝号(カアン)を帯びる元朝とハン号を帯びるそれ以外の政権(ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルスフレグ・ウルスなど)にわかれる[2]

ハン国の形成

9世紀にウイグル可汗国の崩壊後、モンゴル高原では九姓タタル、阻卜、烏古などが割拠し、やがてメルキトナイマンケレイトタタルモンゴルなどが形成された。その内の有力部族であるモンゴル、ナイマン、ケレイトは君主号としてカン(Qan)を用いて複数部族を束ねる存在となる。

チンギス・カンが率いるモンゴル帝国が勃興すると、第2代のオゴデイは他のカンから卓越した存在として「カアン(ハーン)」(Qa'an)という君主号を採用し、以降の歴代皇帝に使用された[3]。一方でオゴデイの死後、後継者争いによって帝国の有力ウルスが分離独立し、皇帝(カアン)直轄領である元朝とは別に、ジョチ・ウルスイルハン朝チャガタイ・ハン国の3つのハン国が形成された。

モンゴル帝国以後

分裂しおのおの独自の発展を遂げたウルスも14世紀には衰退し、それぞれ滅亡の道を歩む。しかし、ハンを君主とする伝統は、その後もテュルク系・モンゴル族系の遊牧民継承国家に受け継がれた例が多い。特にロシアを地盤としたジョチ・ウルス崩壊後の後継国家に著しい(なお、ロシア側からはモンゴル支配を「タタールのくびき」と呼ぶ)。各地において建国されたハン国は、ロシア帝国やイスラム諸王朝に吸収されていったが、遅くは20世紀まで存続した(ヒヴァ・ハン国など)。

主なカン/ハン国

モンゴル帝国以前

モンゴル系ハン国

テュルク系ハン国

脚注

参考資料

関連項目

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