吉宜
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出自
経歴
元は僧で恵俊を名乗るが、文武天皇4年(700年)医術に優れることを理由に還俗して吉宜の氏名を与えられ、務広肆に叙せられる。和銅7年(714年)正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵する。
のち、従五位上に昇叙され、養老5年(721年)官人の中から学業に優れ模範とすべき者に対して褒賞が行われた際、医術に優れるとして秦朝元らと共に宜の名が挙げられ、絁10疋・絹糸10絇・麻布20端・鍬20口を与えられている[3]。
聖武朝に入り、神亀元年(724年)大和国の田村里に居住していたことに因み[2]、一族の智首と共に吉(無姓)から吉田連に改姓する。天平2年(730年)には学業を後進に教授するために、3人の弟子を取って医術を勉強させるように命ぜられた[4]。のち、天平5年(733年)図書頭、天平10年(738年)典薬頭を歴任し、天平9年(737年)には正五位下に至る。