后勝

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后 勝(こう しょう、生没年不詳)、中国戦国時代末期の政治家斉王建の代の相国で、奸臣として知られる。

生涯

斉の太后君王后中国語版は英明で、諸侯との信義を保つことに尽力し、東方に位置する地理的要因も合わさって斉は40余年間にわたり兵禍を受けることはなかった[1]

斉王建16年(紀元前249年)、君王后が崩御すると、后勝は相国となって斉の国政を掌握した。后勝は秦の間者からたびたび賄賂を受け取り、多くの賓客を秦に遣わした。秦はその者たちにも多くの金を与え、斉の客臣たちのことごとくを内通者に仕立て上げた。秦に寝返った者たちは、「斉は秦に従属し、戦の備えも廃し、五国の合従にも加わるべきではない」と斉王建に勧めた。そのため、斉は合従攻秦の戦いにおいて合従軍に加わらず、また、秦は斉を顧みずに統一事業を推し進めることができた[1]

斉王建44年(紀元前221年)、既に五国()を滅ぼした秦は、最後の一国である斉の攻略に取り掛かった(斉攻略)。事ここに至って、后勝は秦との関係を断ち切り、西方の国境に軍を配置して秦軍に備えた。しかし、王賁率いる秦軍は燕から南下して斉を攻め、斉の国都臨淄に入城した。臨淄の民は誰一人として秦軍に抗うことはなかった。斉王建は降伏し、ここに斉は滅亡して、秦は天下を統一した[1][2]

脚注

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