周防内侍
平安時代後期の歌人
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来歴
逸話
- 寂超[5]、鴨長明[6]、藤原信実[7]らの残した文献によると、この家は少なくとも建久年間(1190年代)まで荒廃したまま残っていた。その場所は冷泉堀川北西角で、柱には確かに「我さへ軒のしのふ草」の歌が書き付けてあったという。一種の旧跡・名所のようになっていたようで[* 1]、実際に西行もこの周防内侍旧宅の言わば見学ツアーに参加している[8]。
平安時代後期の歌人
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