阿波志に、「塩無山、菅生名(集落)にあり。山上平広なり。池あり見残と称す」と記し、現在の塔ノ丸頂上から夫婦池までの4kmに及ぶ山塊を塩無山(しおなしやま)と呼んでいたという。
大正4年の「美馬郡郷土誌」には、「剣山の北方に当りて丸笹山を中心とし、西は塩無山、東方は中尾山に連なる小連嶺あり」「(剣山へ)祖谷より登るには菅生より塩無山に登り約四里にして見残に達す」としている。大正期までは塩無山と呼ばれていた。
昭和になってからは「剣峡剣山祖谷峡案内」、「四国の尾根」などでは「塔丸」と称し、「四国の旅行」、「鉄道省登山案内」では「東祖谷山」と称し、2つの山名を併用している。