外食産業
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日本における外食産業

すかいらーく1号店から業態変更した店舗(改築前の写真)
日本における「外食」の用語は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に戦時下の食料統制の一環として1941年(昭和16年)4月に導入された「外食券制」により、配給された「外食券」で食事できる食堂に「外食券食堂」と表記されたことによって広まった[3]。 日本の証券市場では証券コード協議会における業種分類で、外食産業はスーパーマーケットやコンビニエンスストアなどと同じ「小売業」、中食に用いられる食料品を製造販売する企業は「食料品」に分類される。
日本国内で、食事をする空間を提供する」という意味での外食産業は、日本初の百貨店であった三越日本橋本店に1907年(明治40年)4月に開業した食堂を嚆矢[4]とする。
日本の飲食店は、高度経済成長期以前には、個人による生業(なりわい)的なものがほとんどで、その広がりものれん分けによる支店・兄弟店の関係に留まっていたが、1960年代にアメリカで起こったフランチャイズブームをきっかけに、日本にもフランチャイズ (FC) 形式の店舗が登場する。1963年には不二家が洋菓子店FC1号店を出店した。
日本で本格的な外食産業の展開が始まった1970年(昭和45年)が「外食元年」とされる[3]。この年は、7月に日本初のファミリーレストラン「すかいらーく」1号店が、中央道国立府中IC近くの東京都府中市西府町5丁目16-1(すかいらーく国立店、現・ガスト国立店)に開業した年である[5]。同年にはロイヤルホスト第1号店も開店した。
また同1970年には、ファーストフード店では、当時ダイエー系列であったドムドムハンバーガーが同年2月、町田市のダイエー原町田店に1号店を開店。日本初のハンバーガーチェーン店として[6]、ダイエー系列の店舗を中心に出店を進めた。翌1971年(昭和46年)7月20日には、マクドナルド1号店が三越銀座店1階に開店[3][7](テイクアウト専門店、1984年11月閉店)、4日後の7月24日には代々木駅前に代々木店を開店している(現存)[8]。米国マクドナルド社は自家用車での来店を想定して1号店は郊外に作るべきとし、神奈川県茅ヶ崎市への出店を主張したが、当時の日本はまだモータリゼーション半ばであったこと、銀座の百貨店と言うブランド性などから三越銀座店への出店が決まった[8]。1970年は銀座や新宿などで歩行者天国が始まった時期でもあり、マクドナルドではその後も新宿二幸(新宿アルタ)、三越新宿店など、都心部の百貨店へのテイクアウトカウンター式の店舗出店が続いた。
1970年代にはハンバーガーチェーン店の開業も相次ぎ、翌1972年(昭和47年)には、モスバーガーが3月12日に成増駅前商店街で実験店を出店(6月に現在の成増店の場所に正式な1号店として移転)、ロッテリアが日本橋髙島屋北別館1階に1号店を開店[8]した。
ハンバーガーチェーン以外では、1970年3月にケンタッキーフライドチキンが大阪万博に実験店を初出店、同年11月に名古屋市のダイヤモンドシティ・名西ショッピングセンター(現・イオンタウン名西)に常設店舗1号店の名西店を開店[9]した(ただし名西店は翌年に閉店)。1971年にはダスキンがミスタードーナツ第1号店を開店。1973年(昭和48年)には吉野家が神奈川県小田原市にFC第1号店を開店、同1973年にはシェーキーズも渋谷に第1号店を開店した。
1970年代から1980年代の外食産業には、セントラルキッチンやPOSが導入され、より効率化が図られた。市場規模は、1980年で14兆7,000億円に達し、1980年代後半には20兆円を越えた[10]。また、1980年代にはフランチャイズ方式を採用した居酒屋が登場し、1983年には東京都内に白木屋第1号店の中野南口店が開店した。
こうして1970年代からファミリーレストランやファーストフードのチェーンストア展開が始まり、マスメディアにも「外食産業」という用語が登場するようになる[3]。外食は日本の庶民にとっては、それまでは祝い事や行事などの際の特別なものであったが、これ以降は日常的なものとなっていく[3]。さらに1980年代後半から1990年代前半にかけてのバブル時代には、好景気を背景に空前の「グルメブーム」が起き、テレビのグルメ番組や『美味しんぼ』に代表されるグルメ漫画も流行するなど、外食が娯楽のひとつとして広く定着した[3]。
平成時代以降の日本の家庭における傾向としては、一般的に世帯主が若い家庭ほど食費に占める外食の割合が大きく、また単身世帯は2人以上の世帯よりも外食の割合が大きくなる[11]。また日本では他国と異なり、1人で外食することに寛容な国であり[12][13]、そうした「お一人様」文化も外食産業を後押ししている。
1990年代にはバブル景気の終焉により成長が鈍化したが、バブル崩壊に伴う地価下落により地代や賃料が安くなったことから、ファミリーレストランの都心部への出店(ビルイン型店舗)や、居酒屋チェーンの郊外への出店が容易になった[10]。また1990年代には、デフレを背景にマクドナルドの「80円バーガー」など低価格競争が熾烈化したが、収益は改善せず低価格競争からの脱却を計ることとなった[10]。その結果、低価格競争に敗れたハンバーガーチェーンの撤退や事業縮小(グリコア、雪印スノーピア、森永LOVE、明治サンテオレ、ウェンディーズなど)を招くに至った。また1990年代にはハンバーガーチェーン以外にも、ダンキンドーナツなどが日本から撤退した一方で、スターバックスやタリーズコーヒーなど「シアトル系コーヒー」と呼ばれる外資系コーヒーチェーンが日本進出を開始している。
2000年代には、2001年のBSE問題、2004年の鳥インフルエンザ流行が、関連店舗に打撃を与えた。また飲酒運転の取り締まり強化が飲食店での酒類販売に影響を与えた[10]。この時期には日本の外食産業は成熟期に入って「価格より品質へ」と方向が変化し、質の向上に伴い、例えばラーメンのレベルが高くなり新規出店のハードルが上がるといった状況もあった[10]。
日本の外食産業の市場規模は、1997年をピークに、2007年時点では20兆円台前半となった[10]。市場規模は今後拡大しないとされつつも店舗数が増えている現状があり、業界の競争激化が熾烈となるとみられる[10]。
その結果、大手企業の中でも外食産業から撤退する企業が現れ始め、一例としてセブン&アイ・ホールディングスは外食部門の不振から、2008年度以降は外食部門の店舗数を削減すると発表。その後、セブン&アイグループの外食企業(ファミール、ポッポ、デニーズなど)を、2024年に設立した中間持株会社のヨーク・ホールディングス傘下に移管した上で、翌2025年に外資系ファンドのベインキャピタルへ売却した。
外食産業の倒産件数は、2000年代に入り右肩上がりに上昇し、2007年以降の倒産件数は毎年600件前後で推移してきた。外食産業は景気の良し悪しに左右される業態とも言われてきたが、2017年は好景気から他の業種が倒産件数を大幅に減らす中、対前年比27%増の倒産件数700件超を記録した[14]。材料費の増加と人材難のほか、小規模事業経営者の高齢化と後継者難も背景にあるとみられる[14]。
2020年代に入ると、2020年から2023年まで続いたコロナ禍による外出自粛と飲食店への営業自粛要請、インバウンド需要の激減により、外食産業は大きな打撃を受け、2024年には飲食店の倒産件数が過去最高の800件超に達した[15][16]。
