多可町

兵庫県多可郡の町 From Wikipedia, the free encyclopedia

多可町(たかちょう)は、兵庫県の中央部に位置し、多可郡に属する。北播磨地域の最北に位置する自治体である[1]兵庫県北播磨県民局に区分)。

日本の旗 日本
都道府県 兵庫県
概要 たかちょう 多可町, 国 ...
たかちょう ウィキデータを編集
多可町
多可町旗 多可町章
多可町旗 多可町章
2005年11月1日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
多可郡
市町村コード 28365-7
法人番号 9000020283657 ウィキデータを編集
面積 185.19km2
総人口 17,199[編集]
推計人口、2026年2月1日)
人口密度 92.9人/km2
隣接自治体 西脇市加西市丹波市朝来市神崎郡市川町神河町
町の木 けやきひのき
(2006年1月1日制定)
町の花 のぎく春蘭ささゆり
(2006年1月1日制定)
町の鳥 キジ
(2006年1月1日制定)
多可町役場
町長 吉田一四
所在地 679-1192
兵庫県多可郡多可町中区中村町123番地
北緯35度03分01秒 東経134度55分24秒
役場庁舎位置

外部リンク 公式ウェブサイト

多可町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
閉じる

2005年11月に3町(中町加美町八千代町)の合併により発足し、旧町単位でそれぞれ中区、加美区、八千代区の地域自治区が設置されている[2]。「山田錦」「杉原紙」「敬老の日」発祥の地を謳っている[3]

地理

兵庫県のほぼ中央に位置しており、千ヶ峰など中国山地の東南端に位置する山々に囲まれている[1]

河川

以下は、全て加古川水系の河川である。

  • 杉原川
  • 野間川
  • 思出川 - 大男が流した涙が、この川になったとの伝説が存在する[4]

湖沼

  • 翠明湖(別名:糀屋ダム)- 人造湖であり、周辺は翠公園として整備された。
  • 牧野大池 - 溜め池であり、満水時の面積は68,000 m2である[5]

隣接する自治体

2010年に実施された国勢調査によれば、西脇市への通勤率は17.1%である。

歴史

2005年11月1日 多可郡中町加美町八千代町が合併して誕生。役場を旧中町役場におき、旧加美町役場と旧八千代町役場をそれぞれ加美地域局・八千代地域局としており、地域自治区として中区、加美区、八千代区が設けられた。2018年10月22日に多可町新庁舎が開庁し、その敷地面積は4291 m2、延床面積は4921 m2である。耐震構造を有した鉄骨造であり、地上4階、高さ22.6 mである。駐車場69台を備える。設計・施工管理は株式会社梓設計、施行は西松建設株式会社であった。総事業費約26億円。

行政

  • 町長:吉田一四(2017年11月27日 - 2期目、元町理事)

歴代町長

町議会

  • 定数 14人

役所

  • 多可町役場 - 多可郡多可町中区中村町123番地
    • 加美地域局 - 多可郡多可町加美区豊部250番地
      • 2010年5月に旧加美町役場から移転した。
    • 八千代地域局 - 多可郡多可町八千代区中野間650番地

衆議院

さらに見る 選挙区, 議員名 ...
選挙区議員名党派名当選回数備考
兵庫県第4区(多可町、神戸市西区西脇市三木市小野市加西市加東市藤井比早之自由民主党4選挙区
閉じる

「発祥の地」

町は山田錦、杉原紙、敬老の日発祥の地であると謳っている[3]。それぞれ、中区、加美区、八千代区に由来する。

山田錦

道の駅「山田錦発祥のまち・多可」

多可町は、酒米として知られる山田錦の発祥地を謳っている[3]。中区岸上にある国道427号道の駅(2015年登録)は「山田錦発祥のまち・多可」という名称である[6]。町内では山田錦の生産も行われている[3][7]

山田錦は1923年に兵庫県立農事試験場(兵庫県明石市)で山田穂(やまだぼ)と短稈渡船の交配によって作り出され、1936年に命名された品種である。多可町が「発祥の地」を称するのは、山田錦の母方にあたる山田穂を発見したのが中区東安田の豪農・山田勢三郎とする説があることによる[3](ただし山田穂の発祥には諸説がある[注釈 1])。この説によれば、山田勢三郎が1877年ごろ、自作田で見つけた大きな穂を近隣地にも奨励し、俵に「山田穂」の焼き印を押して出荷したという[8]。「山田穂」は大正期には兵庫県において酒米として広く栽培された品種であった[8]

1993年より毎年10月1日(日本酒の日)には「加藤登紀子日本酒の日コンサート」が開催されていた[3][9]。「山田錦」を中心とした町おこしを図っていた合併前の中町が、「ほろ酔いコンサート」を開いていた加藤を招き、1992年にツアーの一環として実現したのが始まりで[10]、毎年恒例の行事となった[9]。加藤のコンサートは30年を区切りとして2021年に幕を下ろした[10][11]

2006年には地方自治体として初めて「日本酒で乾杯の町」を宣言した[3]。2019年、多可町は加藤登紀子を「山田錦PR大使」に任命した[9]

杉原紙

杉原紙研究所・和紙博物館
杉原紙

多可町加美区北部の杉原谷は、手漉き和紙の杉原紙(すぎはらがみ[注釈 2])の発祥地である。加美区鳥羽にある町立の杉原紙研究所周辺は「杉原紙の里」として整備されている。杉原紙研究所は現在唯一の杉原紙製造者であるとともに[13]、紙漉き体験(予約制)が可能な施設として運営されている。また、和紙博物館[14]や販売施設、国道427号道の駅杉原紙の里・多可」(1996年登録)を併設している[15]

播磨国は奈良時代から紙の産地として知られており(播磨紙)、杉原紙もその流れを汲むとされる[13]。「杉原紙」の文献上の初出とされるのは、1116年の関白藤原忠実の日記で、杉原谷にあった藤原氏の荘園・椙原庄で生産される「椙原庄紙」(すぎはらしょうのかみ)を、家宝の調度品とともに子らに贈った記事である[13][注釈 3]

杉原紙は鎌倉時代以降武家社会の公用紙として普及し、江戸時代には庶民にも使用が広がった[13]。この過程で、コウゾ(楮)を用いた杉原式の手漉き和紙が日本各地で生産されるようになり、「杉原紙」「杉原」と呼ばれた[13][注釈 4]。近代に入ると、和紙に替わって洋紙が普及したことに加え[13]、人工造林が盛んになり雑木林が減少してコウゾの自給が困難になったこと[13]、収益の良い他産業[注釈 5]への転業が進んだこと[13]などから、杉原紙の生産は衰退した[3]。江戸時代、杉原谷には和紙を漉く家が300軒あったというが[3]、1925年には紙漉き業の歴史が絶えた[13]

杉原紙の生産が日本各地に広がったため、近代には発祥の地も不明となっていたが[13]、昭和初期に和紙研究家の寿岳文章新村出によって杉原谷(当時は杉原谷村)が杉原紙の発祥地と結論づけられた[13]。地元でも教育者・郷土史家の藤田貞雄によって杉原紙の研究が行われた[13][17]。1966年に杉原谷小学校の校庭に「杉原紙発祥之地」記念碑が建てられた[16]。1970年には大正時代に紙漉きを経験していた宇高弥之助により、杉原紙の紙漉きが再現された[13]

1972年に、加美町は町営「杉原紙研究所」を設立し、杉原紙の本格的な再興に乗り出した[3][13]。杉原紙は1983年に兵庫県無形文化財[注釈 6]に、1993年には兵庫県伝統的工芸品[18]に指定された[13]

1995年からは、原材料のコウゾを地元住民で供給するべく加美町民全世帯参加による「一戸1株栽培運動」を開始した[13](その後、「一戸2株栽培運動」に発展[3][19])。

敬老の日

「「敬老の日」提唱の地」の碑

多可町八千代区は「敬老の日」発祥の地として知られる[20]

多可郡野間谷村(後に八千代町を経て現在の多可町八千代区)で、1947年(昭和22年)9月15日に開催された「敬老会」が「敬老の日」の始まりであるとされる[21]。野間谷村の村長であった門脇政夫(1911年 - 2010年)が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開いたもので[21]、9月15日という日取りは、農閑期にあたり気候も良い[22][23]9月中旬ということで決められた[22][23]。昭和22年当時は、戦後の混乱期に当たり子供を戦場へ送った親たちの多くが精神的に疲労の極にあった。門脇は、そうした親らに報いるべく「養老の滝」の伝説にちなみ、9月15日を「としよりの日」とし、55歳以上の人を対象に敬老会を開催した。これが全国に広がりを見せ、国民の祝日「敬老の日」制定につながった。現在、八千代コミュニティプラザの玄関脇には「敬老の日提唱の地」と刻まれた高さ約2mの石碑が建っている[20]

その後2013年に、多可町では「敬老の日」発祥の町として敬老の精神を未来に向けて受け継いでいく目的で、公募で作成した敬老のうた「きっとありがとう」を制作し、町の各所で流されているほか、この歌を使って介護予防の目的で体操を作って公開した[20]

地域

人口

2010年に実施さえた国勢調査によれば、前回の国勢調査からの人口増減をみると、4.91%減の23,110人であり、増減率は県下41市町中30位、49行政区域中38位であった。

多可町と全国の年齢別人口分布(2005年) 多可町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 多可町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
多可町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 26,282人
1975年(昭和50年) 26,252人
1980年(昭和55年) 26,095人
1985年(昭和60年) 26,179人
1990年(平成2年) 25,745人
1995年(平成7年) 25,440人
2000年(平成12年) 25,331人
2005年(平成17年) 24,304人
2010年(平成22年) 23,104人
2015年(平成27年) 21,200人
2020年(令和2年) 19,261人
総務省統計局 国勢調査より

教育

小学校・中学校

通学区域の指定は町公式HPの記載[24]による。少子化の流れは多可町も例外でなく、2014年(平成26年)3月策定の「多可町学校規模適正化基本計画」に基づき小規模校の統合を進めている[25]。これまでに八千代区で小学校を1校に統合した。今後2026年4月の開校を目指して町内3中学校を1校に統合する計画である。

高等学校

養護学校・特別支援学校

廃校

兵庫県小学校の廃校一覧#多可郡兵庫県中学校の廃校一覧#多可郡を参照。

交通

空港

町に比較的近い空港は大阪国際空港神戸空港但馬空港であるが、町と空港を直結する交通機関はない。

鉄道

町内には鉄道は通っていない。町の最寄り駅はJR西日本加古川線西脇市駅である。

※旧・中町にはかつてJR西日本鍛冶屋線が通っており、終点の鍛冶屋駅が町内にあったが、1990年4月1日に廃止された。

路線バス

町への路線バスが発着する鉄道駅は西脇市駅(加古川線・西脇市)、本黒田駅(加古川線・西脇市旧黒田庄町)、北条町駅北条鉄道・加西市)の各駅。

道路

一般国道

主要地方道

出身者

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

岩座神の棚田
多可町余暇村公園のバラ園

多可町を舞台とした作品

備考

  • 方言は播州弁である。アクセントは垂井式アクセントを用いる地区と、京阪式アクセントを用いる地区に分かれる。加美区・中区には敬意の「‐ちゃった」という特徴的な表現があり[注釈 7]、「ちゃった弁」と呼ばれ親しまれている。
  • かつてCMで知られたクワムラ食品の本社及び工場が中区にある。
  • 2007年の県議会選挙では、西脇市黒田庄町(合併前の多可郡黒田庄町)も多可郡選挙区として扱われた。
  • 尼崎市の非公認キャラクター・ちっちゃいおっさんの妻、「ちっちゃいおばはん」こと酒田みづえは多可町出身の設定である[26]
  • ふるさと納税として100万円以上の寄附をした人への特典に、「ご当地ヒーロータカゴールドになれる券」や「たかテレビニュースキャスターになれる券」等が用意されている[27]
  • 2018年12月26日に「一日ひと褒め条例[28]」を可決し、翌1月1日より施行された[29][30]。「家族や友人、職場の同僚らの良い点を見つけ、言葉で伝え合うことで地域活性化を目指す」という条例であり[29]、ユニークな条例としていくつかのメディアで報じられた[31][32]

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI