Wikiwand AI

大織冠

From Wikipedia, the free encyclopedia

大織冠(たいしょっかん、たいしょかん)は、大化3年(647年)から天武天皇14年(685年)まで日本で用いられた冠位、またその標章たる冠をいう。冠位としては単に大織(だいしき)ともいう。冠位の最上位で、下には小織がある。日本史上、藤原鎌足だけが授かった。小織と共に現在の位階の最高位である正一位よりも上位に相当する。

概要

大化3年(647年)に制定された七色十三階冠の制で設けられた。大織・小織の冠は織物で作り、繡で縁どった。冠につける鈿は金銀で作った。深紫色の服を着用する規定であった[1]。

以前の冠位十二階は大臣を対象とせず、大臣は自ら紫冠を着用していたが、13階の制では紫冠が上から5、6番目になった。かわって最上位になった大織・小織の冠は当面誰にも与えられなかったようである。

天武天皇14年(685年)1月21日の冠位四十八階の制で冠位の名称が全面的に変わり、廃止された[2]。

ただし、大織・小織という最上位二階は、649年の冠位十九階と664年の冠位二十六階への改定でも維持され、685年の冠位四十八階まで継続したとされる[3]。そのため、大織冠は647年に一度だけ現れた名称ではなく、制度改編をまたいで存続した最上位冠位として理解できる[3]。

河上繁樹・関西学院大学教授は阿武山古墳に副葬されていた冠帽が、その織り方などから大織冠ではないかと推測している[4]。阿武山古墳出土の冠帽については、2024年の画像解析で、金糸が織り返して密に並ぶ綴織の特徴や、帽子上部に付された六弁花の刺繍が確認されたと報告されている[5][6]。これらは織物製の冠である大織冠の理解と接続しうる資料として提示されており、被葬者を藤原鎌足とみる説を補強する新たな材料として扱われている[5][7]。

叙位された人物

大織を授けられたことが記録に見えるのは、内臣(内大臣)の中臣鎌足(藤原鎌足)だけである。天智天皇に信任された鎌足は、死の前日の天智天皇8年(669年)10月15日に大織冠を授けられた[8]。後に鎌足は「大織冠」と尊称された。

他の冠位については、「大錦上位」など「位」の字をつけるのが普通だが、大織の場合は「冠」をつけて大織冠と呼ぶことが多い[9]。『藤氏家伝』上巻にあたる鎌足の伝記は「大織冠伝」と呼ばれる。

他には斉明天皇7年(662年)9月に帰国して百済の王位に就こうとする百済王子豊璋に織冠を授けたとの記事がある[10][11]。

他の大臣の例としては大繡の巨勢徳多が最高である。

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks