威海市
中国山東省の地級市
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威海市(いかいし)は、中華人民共和国山東省最東部に位置する地級市。かつては威海衛(いかいえい)といった。近代にはイギリス統治下に入り、威海衛租借地となった。
| 中華人民共和国 山東省 威海市 | |
|---|---|
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| 中心座標 北緯37度49分 東経122度11分 | |
| 簡体字 | 威海 |
| 繁体字 | 威海 |
| 拼音 | Wēihăi |
| カタカナ転写 | ウェイハイ |
| 国家 | |
| 省 | 山東 |
| 行政級別 | 地級市 |
| 面積 | |
| 総面積 | 5,436 km² |
| 人口 | |
| 総人口(2004) | 248.39 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 0631 |
| 郵便番号 | 264200 |
| ナンバープレート | 魯K |
| 行政区画代碼 | 371000 |
| 市樹 | ネムノキ |
| 市花 | モクセイ |
| 公式ウェブサイト: https://www.weihai.gov.cn/index.html | |
地理
歴史
唐代以来、登州東部の文登県、栄成県の領域であった。明代の1398年倭寇防衛のため、山東半島に成山衛、靖海衛とともに威海衛が設置されたのが始まりである。清末には李鴻章率いる北洋海軍基地となり、1890年劉公島に北洋水師学堂が設置された。日清戦争末期、丁汝昌率いる清国北洋艦隊は威海衛湾内に閉じこもったが、海陸から日本軍の攻撃(威海衛の戦い)を受けて壊滅した。下関条約締結後、日本が一時保障占領した。
1898年にイギリスが清国から租借し、イギリス海軍の管轄下に置かれ「ポート・エドワード」と呼ばれた。1900年には行政長官署が設置されてイギリス植民地省の管轄下に入った。清朝最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀の家庭教師をつとめたイギリスの中国学者であるレジナルド・ジョンストンが1926年から行政長官をつとめた。
ワシントン会議でイギリスは威海衛の返還を声明していた。1928年、蔣介石の国民政府が北伐を完了させた後、1930年10月1日に返還式が行われた。日中戦争では再び日本軍が占領している。
1945年に中華民国政府の下で威海衛市が成立し、中華人民共和国成立後の1950年、威海市(県級市)と改名、1987年現在の地級市に昇格した。中韓国交樹立(1992年)以前の1990年には大韓民国仁川直轄市との直通フェリー「金橋」号が就航し、韓国との関係を深めた。仁川港まで14時間の航海である。また、威海大水泊空港から韓国への航空便が運航されている。
経済
教育
行政区画
威海市は2市轄区・2県級市を管轄する。
年表
膠東行政区東海専区
文登専区
- 1950年5月9日 - 膠東行政区煙台市、膠東行政区北海専区福山県、膠東行政区東海専区威海市・石島市・文登県・海陽県・栄成県・崑崙県・牟平県・乳山県を編入。文登専区が成立。(1市8県)
- 石島市および威海市の一部が栄成県に編入。
- 威海市が県制施行し、威海県となる。
- 1950年9月 - 煙台市が地級市の煙台市に昇格。(8県)
- 1951年3月28日 - 威海県が市制施行し、威海市となる。(1市7県)
- 1954年4月3日 - 栄成県・文登県の各一部が合併し、石島県が発足。(1市8県)
- 1954年12月31日 (1市8県)
- 1956年2月24日 - 威海市・福山県・石島県・文登県・海陽県・栄成県・崑崙県・牟平県・乳山県が萊陽専区に編入。

