宋万
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
宋万ははじめ王倫、杜遷、朱貴ら仲間達とともに梁山泊に山塞を構え周囲から恐れられていた。ある日禁軍の槍術師範だった林冲が入山を求めてきた。首領の王倫は豪傑林冲に自身の地位を脅かされはしないかとこれを断ろうとするが、他の仲間と共にこれをとりなし紆余曲折の末、王倫も渋々林冲の入山を認めた。
その後、官憲から逃れてきた晁蓋一行が入山を求めてくるが、王倫はこれも追い返そうとしその浅はかさと自己中心ぶりに激怒した林冲に殺された。宋万たちは敵討ちもせず、晁蓋に頭を下げて仲間に加えてもらうよう懇願し、頭領の一人として残留した。
その後は糧秣輸送や潜入、留守居など主に裏方として働き余り目立つ手柄は立てなかった。百八星集結後は歩兵軍将校に任命され、梁山泊が朝廷に帰順した後もよく働いたが、方臘討伐の緒戦で矢に当たり戦死。陶宗旺、焦挺とともに百八星最初の死者となった。仲間達は特に古参の宋万の死を悲しみ、宋江も「思えば宋万という人は特別な手柄を立てたことは無かったがはじめて山に来た時は随分お世話になったものだ」と嘆いた。
