寂然 1118-?, 平安時代末期の官人、歌人。「じゃくねん」ともよむ。俗名は藤原頼業。勅撰集『千載和歌集』以下に47首入集 From Wikipedia, the free encyclopedia 寂然(じゃくせん/じゃくねん)は、平安時代後期の僧・貴族・歌人。俗名は藤原 頼業(ふじわら の よりなり)。藤原北家長良流、丹後守・藤原為忠の四男。官位は従五位下・壱岐守。(諸説あり不詳) 時代 平安時代後期生誕 元永元年(1118年)頃[1]死没 不明改名 頼業→寂超概要 凡例寂然 / 藤原頼業, 時代 ... 凡例寂然 / 藤原頼業時代 平安時代後期生誕 元永元年(1118年)頃[1]死没 不明改名 頼業→寂超別名 号:唯心房官位 従五位下・壱岐守主君 近衛天皇氏族 藤原北家長良流父母 父:藤原為忠兄弟 為盛、為業、寂超、寂然、兼豪、忠宴、昌忠、藤原光房室、藤原俊成室、平忠盛室?テンプレートを表示閉じる 経歴 元永年間(1118年 - 1119年)の生まれとされる。崇徳朝にて東宮・躰仁親王(のち近衛天皇)の蔵人や左近衛将監を務める。康治元年(1141年)従五位下に叙爵し、翌康治2年(1142年)に壱岐守に任ぜられる。 遅くても久寿年間(1154年-1156年)に出家し大原に隠棲した。法名を寂然と称し、同じく出家した兄弟の寂念・寂超と共に大原三寂・常盤三寂と呼ばれた。西行・西住とは親友の間柄であったと言われている。また、各地を旅行して讃岐国に流された崇徳院を訪問した事もある。寿永年間には健在であったとみられるが晩年は不詳。(諸説あり不詳) 人物 和歌に優れ私撰集に『唯心房集』『寂然法師集』『法門百首』があり、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に47首が入首。強い隠逸志向と信仰に裏付けられた閑寂な境地を切り開いた。また、今様にも深く通じていた。(諸説あり不詳) 官歴 崇徳朝:東宮蔵人。左近衛将監[2] 康治元年(1141年) 正月5日:従五位下[3] 康治2年(1142年) 正月27日: 壱岐守[3] 天養-久寿年間:出家 (諸説あり不詳) 出典 井上宗雄「常磐三寂年譜考」『国文学研究 21』早稲田大学国文学会、1960年 脚注 [1]井上宗雄「常磐三寂年譜考」『平安後期歌人伝の研究』笠間書院、1978年 [2]『関戸家本唯心坊集巻首』 [3]『本朝世紀』 ポータル 文学 Related Articles