寇謙之
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生涯
若い頃から仙道を好み、張魯の術を修め服食して数年たった頃、仙人の成公興に出会い、華山をへて嵩山に伴われ十年修業を積む。
415年(神瑞2年)、太上老君が天より降り、寇謙之の修業の熱心なことを賞して天師の位を授け、『雲中音誦新科之誡』20巻を与え、「三張の偽法、租米銭税や男女合気などの妖術を一掃すべし」と命じ、服気導引口訣の法を授けたという。
423年(泰常8年)、李譜文から『籙図真経』60余巻と鬼神を駆使する法、金丹雲英八石玉漿の秘法を受け、翌年に北魏の太武帝に書を献じたが、宰相の崔浩が特に寇謙之に師事し、さらに帝に勧めて都の平城の南北に天師道場を起こさせた。五層の重壇にして120人の道士を仕えさせ、一日6回の祈祷を行わせる。
442年(太平真君3年)、世祖は道壇に登って符籙(道士としての資格の一つ)を受けた。世祖はこの新天師道を尊崇し、道教を北魏の国教とし、自ら「太平真君」と称し、446年以降、仏教を排斥するようになった(三武一宗の法難の内の一つ)。
寇謙之は仏教の戒律などを参考にして、「雲中音誦新科之誡」をさだめた。さらに修業の段階に応じて資格を与え、師弟の関係を秩序づけ、道教の組織を寺院・教会のように確立した。
中国北部における道教は、以後の王朝によって国教に準ずる扱いを受け、唐代以降の隆盛を準備するのである。