後漢末には公孫氏が幽州東部を占拠、その後約半世紀にわたって中原政権から半ば独立した政権が成立したが、238年(景初2年)に魏により滅亡させられた。
五胡十六国時代になり、後趙の勢力が弱まると龍城を中心とする前燕の勢力下に入った(前燕は一時幽州の薊城を国都にしたこともある)が、やがて前秦に攻め滅ぼされた。また400年(長楽2年)には後燕により幽州東部に平州を設置された。
北魏のときになると468年(皇興2年)に安州、太和年間には燕州が分割・設置された。その後成立した北周は幽州を東北国境の軍事要衝として東北道の総管府を設置した。