広駅
広島県呉市広中町にある西日本旅客鉄道の駅
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概要
歴史
- 1935年(昭和10年)
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物扱い廃止[2]。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1996年(平成8年)3月16日:呉駅から広島駅までノンストップ運転の快速(現在の「安芸路ライナー」にあたる)新設に伴い、停車駅となる。
- 2005年(平成17年)10月1日:臨時快速「瀬戸内マリンビュー」新設に伴い、停車駅となる。
- 2006年(平成18年)4月1日:広コンテナセンターが広オフレールステーションに名称変更。
- 2007年(平成19年)
- 2010年(平成22年)
- 2012年(平成24年)4月1日:広オフレールステーションの営業を終了[9]。
- 2016年(平成28年)
- 6月22日:平成28年梅雨前線豪雨に伴い安登駅 - 安芸川尻駅間で土砂崩れが発生、三原駅 - 当駅間が不通となる[10]。
- 6月29日:安浦駅 - 当駅間運行再開[11]。
- 2018年(平成30年)
- 2021年(令和3年)
- 1月31日:みどりの窓口営業終了。
- 2月1日:みどりの券売機プラス稼働開始。これに伴い、駅員配置時間帯は大幅短縮された。
駅構造


単式・島式ホーム2面3線を有する地上駅[1]。駅舎は単式1番のりば側にあり、島式2・3番のりばへは跨線橋で連絡している。各ホーム共に広島方面・三原方面側双方に出発信号機が設置されており、両方向へ発車が可能。
みどりの窓口があったが、2021年1月31日限りで廃止され、翌日からはみどりの券売機プラスが設置された。ICOCA対応自動改札機が設置されている。
のりば
- 付記事項
- 1番のりばは主に、広島方面行普通列車と、朝晩の三原方面行(広島からの直通列車)が利用している。
- 2番のりばは主に、日中の広島方面行快速列車、朝の広島方面行列車(三原からの直通列車)、朝の広発三原行(1日1本のみ)と、広発安浦行の一部が利用している。
- 3番のりばは、呉線臨時快速列車「EtSETOra」と、三原発列車折返し、広島方面発当駅止まりの一部列車が利用している。
- 3番線南側に留置線が5線あり、夜間滞泊等に使用されている。以前はその外側に更に3本の側線があり、最も外側の線路から専用線が南西に分岐し、「呉東部卸売市場前」交差点付近で県道279号線(この地点で呉市電の軌道とも平面交差)と交差して南に延び、在日米軍黄幡弾薬庫(呉市広黄幡町)に至っていた。この専用線は東洋パルプ(現・王子製紙)呉工場の敷地内を南北に貫通しており、途中から同工場への専用線も分岐していた。現在はいずれも廃止、撤去されている。
- 駅西側から中国工業への専用線も分岐していたが、現在は廃止されている。
- 駅西側に引き上げ線が1線、東側に2線ある。
- 駅東側の貨物ヤードは以前11線の線路があったが、1986年の貨物取扱廃止後は撤去され、用地は商業施設となっている[4]。ただし、最も1番線寄り線路1本(旧貨物ヤード引上線)は残されており電車留置に使用される場合がある。
- ホーム(2018年3月)
- 留置線(2010年2月、跨線橋から)
広オフレールステーション
1986年に当駅での列車による貨物取扱が廃止された後、旧貨物ヤード跡地(駅東側)の線路を撤去し敷地の一部に日本貨物鉄道(JR貨物)広コンテナセンターが設置され、トラックによる貨物輸送が開始された。その後、2006年の貨物駅名称整理の際に「広オフレールステーション(略称:広ORS)」に改称された。国鉄分割民営化以来、呉線沿線で唯一のJR貨物による貨物取扱施設であった。 拠点駅である広島貨物ターミナル駅との間にトラック便が1日2.5往復(当駅発が3本)設定され、12ftコンテナのみを取り扱っていた[16]。正確な廃止日は不明であるが、2012年3月以降貨物時刻表及びJR貨物のホームページから当施設に関する情報は削除され、施設は全て解体された。跡地には2014年、商業施設が開業した。
利用状況
「広島県統計年鑑」及び「呉市統計書」によると、近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通り。
| 年度 | 1日平均 乗車人員 |
|---|---|
| 1987年(昭和62年) | [注釈 1] 5,264 |
| 1988年(昭和63年) | 5,656 |
| 1989年(平成 元年) | 5,873 |
| 1990年(平成2年) | 6,329 |
| 1991年(平成3年) | 6,405 |
| 1992年(平成4年) | 6,331 |
| 1993年(平成5年) | 6,374 |
| 1994年(平成6年) | 6,361 |
| 1995年(平成7年) | 6,453 |
| 1996年(平成8年) | 6,269 |
| 1997年(平成9年) | 5,991 |
| 1998年(平成10年) | 5,890 |
| 1999年(平成11年) | 5,792 |
| 2000年(平成12年) | 5,738 |
| 2001年(平成13年) | [注釈 2] 5,575 |
| 2002年(平成14年) | 4,699 |
| 2003年(平成15年) | 4,434 |
| 2004年(平成16年) | 4,336 |
| 2005年(平成17年) | 4,221 |
| 2006年(平成18年) | 4,123 |
| 2007年(平成19年) | 4,109 |
| 2008年(平成20年) | 4,086 |
| 2009年(平成21年) | 3,946 |
| 2010年(平成22年) | 3,869 |
| 2011年(平成23年) | 3,801 |
| 2012年(平成24年) | 3,774 |
| 2013年(平成25年) | 3,832 |
| 2014年(平成26年) | 3,734 |
| 2015年(平成27年) | 3,888 |
| 2016年(平成28年) | 3,929 |
| 2017年(平成29年) | 3,953 |
| 2018年(平成30年) | 3,556 |
| 2019年(令和 元年) | 3,640 |
| 2020年(令和2年) | 3,057 |
| 2021年(令和3年) | 2,880 |
| 2022年(令和4年) | 2,901 |
| 2023年(令和5年) | 2,999 |
