康帝 (東晋)
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生涯
咸和元年(326年)、呉王となり、翌年に琅邪王に改封された。咸和9年(334年)、散騎常侍を拝命され驃騎将軍が加わった。咸康5年(339年)、侍中・司徒となった[1]。
咸康8年(342年)、成帝が崩御した際、成帝には二人の幼い子(数え2歳の司馬丕と、数え1歳の司馬奕)がいたが、外戚としての専権を失うことを恐れた庾冰は「国難の時期に幼帝はふさわしくない」との名目を掲げて同母弟であった司馬岳が皇位に据えられた[1]。
短い治世のほとんどは後趙の石虎との戦いに費やされた。なお、この戦いの中で、後代に西府軍団を率いる桓温が頭角を現している。しかし、朝廷の実権は庾冰・庾翼兄弟が握ったまま皇帝としての力量は発揮できなかった。建元2年(344年)9月、式乾殿で崩じた。享年は23歳[1]。