弘仁格
From Wikipedia, the free encyclopedia
編纂経緯
格式編纂の構想は、桓武天皇の頃から存在したが、嵯峨天皇の時代に「造格式所」を設置して、藤原冬嗣を総裁として藤原葛野麻呂・秋篠安人・藤原三守・橘常主・興原敏久らと事にあたらしめてから編纂事業が本格化した。
弘仁11年4月21日(820年6月5日)に弘仁格・弘仁式が同時に撰進され、その後修訂が加えられて10年後の天長7年10月7日(830年10月26日)に改めて撰進され、同年11月17日(同年12月5日)に施行されたが、その後完成した格式にも不備が見つかったために、さらに筆削が行われ、承和7年4月20日(840年5月24日)に「改正遺漏紕繆格式」として改めて頒行が行われた。現存の弘仁格・弘仁式の条文はこの改正後のものと考えられている。
内容
巻次構成
弘仁格抄
関連文献
- 福井俊彦編『弘仁格の復原的研究 民部上篇』吉川弘文館 1989年 ISBN 4-642-02228-7、オンデマンド版 2018年 ISBN 9784642722285
- 福井俊彦編『弘仁格の復原的研究 民部中篇』吉川弘文館 1990年 ISBN 9784642022293、オンデマンド版 2018年 ISBN 9784642722292
- 福井俊彦編『弘仁格の復原的研究 民部下篇』吉川弘文館 1991年 ISBN 9784642022309、オンデマンド版 2018年 ISBN 9784642722308