息州

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息州(そくしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から初にかけて、現在の河南省息県駐馬店市南東部にまたがる地域に設置された。

概要

495年太和19年)、北魏により設置された東豫州を前身とする。北魏の東豫州は汝南郡に属する南新息・北新息・安陽・汝陽・長平の5県と、東新蔡郡に属する固始・鮦陽・苞信・汝陽の4県と、新蔡郡に属する苞信・長陵の2県と、弋陽郡に属する弋陽県と、長陵郡に属する長陵・苞信・安寧の3県と、陽安郡に属する永陽県の合わせて6郡16県を管轄した[1]

南朝梁により東豫州は西豫州と改称され、さらに淮州と改称された。東魏により淮州は東豫州の称にもどされた。北周により東豫州は息州と改称された。

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、息州の属郡は廃止された。606年大業2年)に息州は廃止され、その管轄県が蔡州に移管された[2]

621年武徳4年)、により汝南郡新息県に息州が置かれた。新息・淮川長陵の3県を管轄した。627年貞観元年)、息州と淮川・長陵の2県が廃止された。新息県は豫州(後の蔡州)に転属した[3]

のとき、息州は南京路に属し、新息・真陽襃信新蔡の4県と王務鎮を管轄した[4]

1262年中統3年)、李璮の反乱が起こると、モンゴル帝国により息州は廃止された。1263年(中統4年)、息州は再び置かれた。のとき、息州は汝寧府に属し、新蔡・真陽の2県を管轄した[5]

1371年洪武4年)、明により息州は廃止され、息県と改められた[6]

脚注

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