抗火石
新島、天城山で採掘される流紋岩の一種
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新島の抗火石
外見は灰白色で多孔質であり流理組織が著しく、特に新島産のものには石英粒が付着しているのが特徴である[1]。
石材として生活利用されるようになった時期は明らかでないが、新島本村役場企業課編『新島 コーガ石 沿革誌』(1979年、14頁)によると天明2年(1782年)の「御見聞役人之請書報告」には石の取引の記録がある[2]。
1878年(明治11年)3月の東京府の吏員による「伊豆七島記」には新島の物産として「甲化石」を挙げており、暖炉や金魚鉢に使用されるとしていることから耐火性だけでなく耐水性も認識されていた[2]。
その後、新島では1924年(大正13年)ごろより工業用に組織的な採掘が行われるようになった[1]。
新島では住宅、倉庫、塀などの建材として新島産の規格石が多く用いられている[1]。1895年(明治28年)の新島の調査に参加した坪井正五郎は『東京人類学雑誌』に「新島の土俗」を発表したが、それによると物置が石葺きで、石垣や道路の敷石、石段にも柔い石を用いているとしている[2]。ただ、石瓦にすると湿気を引くとして母屋には利用されず草屋根であると報告しており、建築用に導入されるようになったのは明治以降のことと考えられている[2]。
天城の抗火石
参考文献
- 岡野武雄 (1965年6月). “軽量骨材資源 抗火石”. 地質調査総合センター. 2010年1月7日閲覧。
