押上
東京都墨田区の町名
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地理
歴史
- 1902年(明治35年)4月1日 - 東武伊勢崎線吾妻橋駅(のち浅草駅→業平橋駅と改称、現:とうきょうスカイツリー駅)が開業。
- 1910年(明治43年)7月28日 - 都電業平線が開通。始発駅として、業平橋駅が開業。
- 1912年(大正元年)11月3日 - 京成本線(現:京成押上線)の始発駅として、押上駅が開業。
- 1913年(大正2年)11月11日 - 都電業平線が押上橋駅まで延伸。
- 1918年(大正7年)8月15日 - 米騒動(1918年米騒動)が押上にも波及。千数百人の群衆が米穀店2軒を破壊、富士瓦斯紡績会社に盛んに投石を行った[6]。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災が発生。火災が押上一帯にも及び多くの商業施設や住家が被災した[7]。
- 1945年(昭和20年) - 東京大空襲。東武亀戸線以南は殆ど焼失、東武亀戸線を境に京島側は明治通りまで焼け残った[8]。
この間、押上は東京の下町で最も繁華な街の一つを形成していた。
- 1960年(昭和35年)12月4日 - 押上駅に都営浅草線が開通し、京成押上線 - 京成本線との相互直通運転を開始[9]。
- 1972年(昭和47年)11月12日 - 都電業平線廃止。押上駅は単なる中間駅となり、ターミナル駅の座を失う。
この間、押上は商業が衰退していった。
- 2003年(平成15年)3月19日 - 押上駅に東武伊勢崎線[10]と半蔵門線(両線は相互直通運転)が開通[11]。再びターミナル駅となる。
- 2006年(平成18年)3月25日 - 業平橋駅と押上駅の間にある伊勢崎線の操車場跡地が新東京タワーの建設地に決定(事業主体は東武鉄道)。
- 2008年(平成20年)3月7日 - 押上・業平橋駅周辺地区に関する都市計画が決定。これに基づき、周辺区域の大規模な再開発が行われた。
- 2012年(平成24年)5月22日 - 東京スカイツリータウンが開業。押上駅の副駅名として「スカイツリー前」を導入。
地名の由来
古代の利根川[注釈 1]が東京湾へ注ぐ河口にあった中洲の南岸へ海から潮が押し寄せ、海からの土や砂が堆積していく様子を地名にしたと考えられている[12][注釈 2]。東京湾へ注ぐ古代の利根川の国境[注釈 3]の河道の南西に位置した中洲であり、元は武蔵国(豊島郡)に属した。
江戸時代以前から存在していた地名で(旧押上村)、現在の押上より東側にあったという。
世帯数と人口
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年9月時点)[19]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 押上一丁目 | 1番1〜71号 | 墨田区立小梅小学校 | 墨田区立墨田中学校 |
| 17〜19番、31〜35番 44〜47番、49〜52番 | 墨田区立押上小学校 | 墨田区立文花中学校 | |
| 1番(1〜71号除く) 2〜16番、20〜30番 36〜43番、48番 | 墨田区立業平小学校 | 墨田区立本所中学校 | |
| 押上二丁目 | 1〜12番、15〜17番 18番10〜17号 | 墨田区立小梅小学校 | 墨田区立墨田中学校 |
| 27〜29番、34番2〜6号 36番2〜11号、39〜43番 | 墨田区立押上小学校 | 墨田区立文花中学校 | |
| 30〜33番、34番1号 34番7〜13号、35番 36番1号、37〜38番 | 墨田区立第一寺島小学校 | 墨田区立墨田中学校 | |
| 13〜14番、18番1〜9号 19〜26番 | 墨田区立言問小学校 | ||
| 押上三丁目 | 全域 | 墨田区立押上小学校 | 墨田区立文花中学校 |

