秦の将軍 From Wikipedia, the free encyclopedia

(きゅう、生没年不詳)[1]中国戦国時代末期の将軍は不明。昭襄王に仕えた。

経歴

昭襄王51年(紀元前256年)、摎は将軍としてを攻撃し、陽城負黍を取り、首級4万を挙げた[2]。さらにを攻撃して20余りを奪い、斬首した者および捕虜は9万に達した[2]西周文公が秦に背き、諸侯と合従を結んで伊闕から秦を攻撃し、秦が陽城に通じるのを遮断しようとしたため、昭襄王の命を受けた摎は西周を攻撃した。文公は秦軍に降伏して罪を詫び、36城と3万の民を秦に献上した。昭襄王は降伏を受け入れ、文公をに帰還させた[3]

昭襄王53年(紀元前254年)、 諸国が相次いで秦に来朝して賓客の礼を取ったが、だけが遅れたため摎は将軍として魏を討伐し、呉城を占領した[2]

登場作品

脚注

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