斗栱

中国に起源を持ち、屋根の荷重を支えて柱へと伝える、木造建築の構造要素 From Wikipedia, the free encyclopedia

斗栱(ときょう)とは、中国に起源を持ち、漢字圏木造建築における構造の一部である。屋根の荷重を支え、柱へと伝える役割を担うとともに、装飾的な要素も兼ね備えている。

中国山西省佛光寺は、857年唐王朝に建立され、1100年以上の歴史を誇る。現在もなお、唐代の姿をそのまま伝えている。
同じ山西省にある魏晉南北朝時代の「九原崗北朝壁画墓」に描かれた壁画には、当時すでに灰色の瓦、赤い柱・梁・斗栱が用いられ、柱や梁には彩画が施されていたことが分かる。

日本では斗栱は「組物」の一部とされ、日本の仏教建築を特徴づける要素の1つでもある。

呼称

  • 中国語では、斗拱(ときょう)、斗科(とく)、欂櫨(ぼくろ)、鋪作(ほさく)、蓮花托(れんかたく)、牌科(はいか)などとも称される。
  • 日本語では、『常用漢字表』に従い、「栱」の漢字をひらがなにして「斗きょう[1]」と表記することがある。また、肘木[2](ひじき)や枓栱[3](とうきょう)と表記されることもあり、さらに広い範囲を指して「組物[4]」と呼ばれることもある。
  • 朝鮮語では、「공포栱包、きょうほう)」と呼ばれる。

歴史

起源

現在、斗栱の前身とその発生過程については、主に以下の3つの説がある:

  1. 井干構造(立柱や大梁を用いない建築構造)から派生したとする説。
  2. 挑梁(せり出した梁)から発展したとする説。
  3. 擎檐柱(屋根を支える柱)が斜材へと変化し、それがさらに斗栱へと発展したとする説。

最も古い斗栱の形状は、戦国時代崖墓石室石闕冥器壁画などに見られる。これらの斗栱は形状が比較的単純で、主に陶製の十字型部材を交差させて積み重ねたものであり、外観は粗削りで装飾的要素は少なく、主に荷重を支える役割を担っていた。

現存する実物としては、四川省綿陽市梓潼県漢代・石闕に見られる「一斗三升斗栱」、および四川省雅安市後漢・高頤墓闕に見られる「一斗二升斗栱」が挙げられる[5]。この形式の斗栱は後に日本へと伝わり、飛鳥奈良時代法隆寺にその姿を確認することができる[6]

出典

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