西党
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名前の由来
歴史
西党の一族
平山氏
一ノ谷の戦いで熊谷直実と先陣争いをしたことで知られる、西党きっての有名人平山季重を出した一族。京王線の平山城址公園駅から近いところにある宗印寺(日野市平山)には季重の墓や木造が伝えられている。平山氏は筑前国原田荘の地頭となり、季重の孫である重実が筑前平山氏の祖となっている。
立川氏
川口氏
由井氏
由井氏は八王子市由井町を地盤としていた。武蔵国の勅旨牧の1つ、由井牧の別当であった、日奉宗弘(西宗弘)の血筋を引く。後に由井は大石氏の本拠地として戦国時代まで続いた。北条氏照が一時期、「油井源三」(由井源三)と名乗っていた。
田村氏
田村氏は現在の日野市万願寺付近を地盤としていたと言われる。この地にある田村山安養寺(たむらさんあんようじ)は館跡という。ちなみに安養寺は土方歳三の生家の北西500mほどのところにある。
磯氏
下鎌田分家磯氏
小川氏
小川氏は武蔵国の勅旨牧の1つ、小川牧を基盤としていたと言われる。その後、薩摩国甑島に領地を得、土着している。この甑島の小川氏に伝わる系図は原本は平成に入ってから火災で失われたもの、研究家の写真撮影によるコピーが残されており[3]、西党研究の貴重な資料となっている。初代は西次郎宗貞の玄孫である小川太郎宗弘。
小宮氏
小宮氏は現在のあきる野市秋川上流域を地盤としていた。初代小宮三郎道経は12世紀後半の武蔵野国秋留郷の地頭[4]。三代目又四郎經行の兄弟4人が九州へ地頭として赴任。 戦国時代初期には小宮上野介憲明が戸倉城を築城。 小宮氏の氏神である小宮神社(あきる野市草花)には寛正4年(1463年)に小宮上野介憲明が奉納した梵鐘がある。
『吾妻鏡』には、小宮七郎(建久元年(1190年、建久6年(1195年)や小宮五郎左衛門尉(嘉禎4年(1238年))といった名前が見える。
また、伊予国弓削島地頭の小宮久行は西宗綱の曾孫、西宗季の孫、小宮重行の子であるとされる。弓削島地頭の小宮氏は他にも、同島の3分の2を伝領した三郎兵衛尉景行、兵衛次郎入道西縁、又三郎頼行と、同島の3分の1を伝領した左衛門四郎茂忠、三郎次郎茂広が知られるまた、南北朝時代初期の肥前国内の地頭小宮三郎通広も日奉姓を称しているので、西党の小宮氏と推定されている[5]。