日禎

戦国時代、安土桃山時代の日蓮宗の高僧 From Wikipedia, the free encyclopedia

日禎(にっしん、永禄4年(1561年) - 元和3年8月23日1617年9月22日[1])は戦国時代安土桃山時代日蓮宗高僧藤原北家日野氏流、広橋国光の子。兄弟に広橋兼勝日野輝資。究竟院。本圀寺(当時は本國寺といった)16世、後に常寂光寺開山。

幼名 鶴寿麻呂
究竟院
尊称 日禎
生地 山城国
概要 日禎, 幼名 ...
日禎
永禄4年(1561年) - 元和3年8月23日1617年9月22日
幼名 鶴寿麻呂
究竟院
尊称 日禎
生地 山城国
宗派 日蓮宗
寺院 久遠寺
常寂光寺
方広寺
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生涯

広橋国光の子として生まれる。天正2年(1574年)、本國寺15世日栖の門に入り、天正6年(1578年)18歳にして同寺16世となる[1]。文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が建立した方広寺大仏殿(京の大仏)千僧供養に不受不施義の教義を守って出仕しなかった[2]

慶長5年(1600年)4月に本國寺を発ち、開祖の日蓮佐渡の霊跡を巡拝した。同年、京に戻ると小倉山常寂光寺を開山して隠棲した[3]

京の町衆に篤く信頼されており、豪商角倉了以が嵯峨の小倉山の土地を寄進した。のちに了以の大堰川改修工事を支援している。

元和3年(1617年)、死去。

脚注

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