飛鳥時代の学僧 From Wikipedia, the free encyclopedia

(みん/びん、生年不明 - 白雉4年(653年)6月)は、飛鳥時代学僧[1]

「旻」という名は縦書きの「日文」を1文字と誤解したもので、本当の名は日文(にちもん)である可能性も指摘されている[2]

出自

経歴

推古天皇16年(608年遣隋使小野妹子に従って、高向玄理南淵請安らとともにへ渡り、24年間にわたり同地で仏教のほか易学を学び、舒明天皇4年(632年)8月に日本に帰国。

その後、蘇我入鹿藤原鎌足らに「周易」を講じた。舒明天皇9年(637年)に流星が現れた時には天狗の吠え声と主張し、舒明天皇11年(639年)に彗星が現れた時には飢饉を予告するなど、祥瑞思想に詳しかった。

皇極天皇4年(645年乙巳の変ののちに、高向玄理とともに国博士に任じられ、大化5年(649年)高向玄理と八省百官の制を立案している。翌大化6年(650年)に穴戸(長門)国司草壁醜経から白いが献上されると、その祥瑞を説明したことにより、白雉改元された。のち病を得て、白雉4年(653年)5月に孝徳天皇の見舞いを受けたが、翌月没した。

脚注

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