春の朝にまどろむなか、聞こえてくる鳥のさえずりや庭に散り敷いた花といった明朗な風情を平易な表現で描き[1]、落花に春の終わりを惜しむ心情を詠んでいる[6][7]。
科挙に失敗したこともあり生涯の大半を襄陽での隠遁生活で過ごした孟浩然は[6]、この『春暁』で、早朝からの宮仕えに縛られず朝寝坊できる自由と[6]春の眠りの心地良さを謳歌したと一般に解されている[7]。しかし彼の諸作品は自らの不遇を愁嘆するものと超俗的な隠棲の心境を詠うものの二系統あり[8]、『春暁』も知識人でありながら官界に入れなかった鬱屈した心境や[3][9]居直りの心理[10]が底にあるとも解されている。
- 起句
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- 「不覺曉」 - 官僚となるとまだ星が見える夜明け前から政庁の前に整列し、日の出とともに入庁しなければならないため[3]、夜明けを気にせず寝坊するということは、役人を隠退したか、そもそも役人になるつもりは無いという意思表示である[11]。
- 承句
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- 「聞」 - 聞くともなく耳に入ってくるというニュアンスであり[1]、意識して聞く「聴」とは区別される[3]。
- 「啼鳥」 - 鳥の鳴き声が聞こえるということは、好天の朝ということである[4]。
- 転句
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- 「来」 - 時を表わす語に付く接尾辞で[3]、単に語調を整えるための助字であって[5]意味はない[12]。
- 「風雨聲」 - 激しい雨風を指す[5]。
- 結句
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- 「花」 - 漢詩で単に花と言えば、まず桃[13]あるいは牡丹[11]が最初に挙げられるが、ほか桜か[14]梅か李か[15]、いずれにせよ「落」とあるからには樹木の枝に咲いた何らかの花とみるのが穏当であろう[15]。
- 「知」 - 後に疑問詞(この場合なら「多少」)が付くと「不知」が省略されたものとされ[5]推量(「…だろうか」)の意味になる[3]。「知る……ぞ」は「知」に疑問詞が続く時の漢文訓読の読み癖であり[3]、伝統的に「知んぬ」とも読む[3]。
- 「多少」 - 数量を尋ねる「どのくらい」という疑問詞で[3]、ここは「定めし多かろう」という含みも持つ[16]。
構成としては、起句と承句でうららかな春の朝の風情を詠んだあと、転句で昨晩の春の嵐へと時間的に暗転し、結句で今の戸外のむせるような落花の様子へと時間的・空間的に再転回するという[6]、典型的な起承転結の形となっている[13]。