晁補之
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯

聡明で記憶力がよく、文章がうまいところから王安国にその才能を認められる。17歳の時に父の晁端友に連れられ杭州に行き、銭塘の風物を詩に詠じ、蘇軾に見いだされ広く知られるようになる。郷試・会試ともに第一位で、元豊2年(1079年)に進士となる。神宗時期に北京国子監教授となる。元祐元年(1086年)に太学正・著作佐郎となる。紹聖元年(1094年)に斉州知州となり、『神宗実録』を編修したが、間違った記述をしたという理由で応天府通判、ついで亳州通判に左遷され、哲宗の元符2年(1099年)にはさらに処州に赴任する途中、喪(丁憂)に服し、監信州酒税となる。徽宗時期に召されて吏部外郎・礼部員外郎中・国子編修実録検討官を拝命する。ついで河中府・湖州・密州・陳州をへて、鴻慶宮提挙になる。大観4年(1110年)に泗州知州となり、まもなく没する。任城県呂村に葬られた。南宋の高宗の建炎4年(1130年)、龍図閣直学士を贈られた。
著作
参考文献
- 『宋史』巻444