朱ソウ

明の皇族。秦愍王。 From Wikipedia, the free encyclopedia

朱 樉(しゅ そう、至正16年11月11日1356年12月3日)- 洪武28年3月20日1395年4月9日))は、初の皇族

明の太祖洪武帝の次男。母は正妻の馬皇后皇太子朱標の同母兄弟。

生涯

洪武帝の次男として生まれる[1][2]。洪武3年(1370年)に秦王に封ぜられ、洪武11年(1378年)に西安へと赴任した[3][2]

洪武22年(1389年)、宗室を管理する大宗正院が宗人府と改められ、朱樉はこの長である宗人令とされた[3][4]。洪武24年(1391年)、過失が多いとして首都の応天府へと呼び戻されたが、兄の朱標の取り成しにより罪を免れ、洪武25年(1392年)に西安へ帰還した[3][4]

洪武28年(1395年)には将軍の甯正らを率いて洮州へと遠征に出て、これを降した[3][5]。洪武帝は喜んだが、同年3月に死去した[3][5]。享年は40[5]。愍の諡号が贈られた[3]。長男の朱尚炳が後を継いだ[3]

朱樉の死因について『明史』には何も書かれないが、『太祖皇帝欽録中国語版』には朱樉が毒殺されたのではないかと述べる洪武帝の手簡が残る[6]

家族

  • 王氏 - の河南王ココ・テムル(王保保)の妹。朱樉の死後に殉葬され[3]、「愍烈」と諡される。
  • 鄧氏 - 鄧愈の娘[3]。正妃王氏に嫉妬して自決した。

[7]

  • 秦隠王 朱尚炳
  • 永興懿簡王 朱尚烈
  • 保安悼僖王 朱尚煜
  • 興平恭靖王 朱尚烐
  • 永寿懐簡王 朱尚灴
  • 安定王 朱尚炌

脚注

参考文献

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