朱引
江戸の範囲
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概要
1590年(天正18年)の江戸城築城以来、江戸の市域は拡大を続け、19世紀初頭にはすでに、その範囲は不明確となっていた[1]。幕府目付・
これは、歴史上初めて正式に示された江戸市域(大江戸)の範囲であり、「朱引内(しゅびきうち)」[5]、「御府内(ごふない)」[1]、などとも呼ばれる。この外側は朱引外(しゅびきそと)と呼ばれる。
範囲
墨引
明治期の朱引

1869年(明治2年)2月19日、東京府は、新たな朱引を定めた[6]。この明治期の朱引は、皇居を中心として、朱引の内側を「市街地」、外側を「郷村地」と定めるものだった[7]。同年3月16日には、朱引内に50区の区画が制定された(五十番組制[8]、五十区制)[9]。1871年(明治4年6月13日)、再改正によって範囲を縮小された朱引内は44区に再編成(朱引内四十四区制)され、1878年(明治11年)の郡区町村編制法の施行(東京15区の制定)まで続いた[10]。