正祖の妃の孝懿王后金氏の不妊により起こった、洪国栄が恩彦君の息子の常渓君を正祖の後継者に据えようとした事件が露見したことで、常渓君は1786年に処刑され、恩彦君は江華島に流刑となった。死刑をまぬがれたのは、荘献世子の敵対勢力である老論僻派の要求を拒否した正祖のはからいであった。しかしカトリック信者である夫人宋氏が1801年の辛酉邪獄で殉教し、恩彦君も連座して死薬を賜った。恩彦君の息子の全渓君は2人の息子とともに江華島に流された。長男は早世したが、次男の李元範は、後に憲宗が後継者を残さずに死去したあと国王に擁立された。これが第25代国王哲宗である。
ソウル特別市恩平区津寛外洞山78-1番地、北漢山で枝山莉茉山で酉坐丘に埋葬された。しかし、朝鮮戦争中彼の墓地の位置は失われてしまった。