杭全神社

大阪市平野区の神社 From Wikipedia, the free encyclopedia

杭全神社(くまたじんじゃ)は大阪市平野区平野宮町にある神社。旧社格府社坂上氏氏神平野郷町の総鎮守として「お宮さん」と呼ばれ、崇敬を受けている。夏祭り(平野だんじり祭)が毎年7月11 - 14日に行われ、付近の国道25号の走行が規制される。

位置 北緯34度37分44.2秒 東経135度33分17.8秒
概要 杭全神社, 所在地 ...
杭全神社

中門
所在地 大阪府大阪市平野区平野宮町2丁目1-67
位置 北緯34度37分44.2秒 東経135度33分17.8秒
主祭神 素盞嗚尊
伊弉册尊
速玉男尊
事解男尊
伊弉諾尊
社格府社
創建 貞観4年(862年
本殿の様式 一間社春日造(第一本殿)
三間社流造(第二本殿)
一間社春日造(第三本殿)
例祭 10月17日
地図
杭全神社の位置(大阪府内)
杭全神社
杭全神社
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拝殿
本殿

現在の社名は杭全荘に由来するもので、かつては熊野権現(くまのごんげんしゃ)や平野熊野三所権現(ひらのくまのさんしょごんげん)と称した。境内には日本唯一現存する連歌がある。

歴史

近代以前

貞観4年(862年)、征夷大将軍坂上田村麻呂の孫にあたる坂上当道牛頭天王素盞嗚尊)を勧請し、現在の第一本殿である祇園社を創建したのが当社の始まりと伝えられている。当地の荘園(杭全荘)はもと田村麻呂の子坂上広野麻呂が朝廷より賜ったものであり、「平野」の地名は「広野」に由来するとされる。勧請の経緯については、享保3年(1718年)成立の絵巻『平野郷社縁起』によれば、素盞嗚尊が当道に直接神託を下し、「今より後この郷にあがめ祭りなば国家安穏人民豊楽を守らん」と告げたためであるという。

建久元年(1190年)には、全国的な熊野信仰の高まりを受けて熊野證誠権現(伊弉諾尊)が勧請され、現在の第三本殿が建立された。『平野郷社縁起』によれば、修験者が役の小角の彫刻したという證誠権現像を携えて来社し、当社の牛頭天王と並べて祀れば平野が長く栄えると訴えたが、社僧がこれを退けたところ、その夜に松から光が放たれるという奇瑞が起こった。これを霊験として郷の有力者たちが協議し、日を置かずして社壇を新たに建て、この尊像を「證誠殿」として奉祀したと伝えられている。なお、修験者が尊像を収めた笈を掛けたとされる松は「笈掛松(おいかけまつ)」として、現在も境内に伝えられている。

元亨元年(1321年)には、後醍醐天皇から「熊野三所権現」の詔勅宸翰による社額を賜り、祇園社を中心としていた当社を熊野権現の総社に改めた。この際、現在の第二本殿となる熊野三所権現伊弉册尊速玉男尊事解男尊)が建立されるとともに、荒廃していた諸殿諸堂が一斉に修復された。三つの本殿がすべて出揃ったのはこの時であり、以後平野熊野三所権現と称されるようになった。

永正10年(1513年12月26日、現在の第二本殿(三間社流造檜皮葺き)および第三本殿(一間社春日造・檜皮葺き、証誠殿)が同日に建立された。これらは大阪市内に現存する最古の木造建築物であり、後に国の重要文化財に指定されている。同年には若一王子社・八王子社も建立された。

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では杭全神社も兵火の被害を受け、室町時代に建てられた初代の連歌所が焼失した。本殿の一部も損傷を受けたとされ、江戸時代初期に時の代官が氏子からの勧進を受けて修復した。宝永5年(1708年)には連歌所が再建され、現存する建物はこれによるものである。翌正徳元年(1711年)には、元禄3年(1690年)に建立された春日大社第三殿が移築されて現在の第一本殿(一間社春日造・檜皮葺き)となった。

自治都市への関与

中世を通じて杭全荘は平等院領に属していたが、荘園住民を経営者として任命した田所職の制度は経営が不安定となって職の転売が相次ぎ、最終的に大徳寺如意庵が田所職を得て荘内の土地を買い取り、影響力を増大させた。これに抗するために杭全神社の宮座を核とするが結成され、宮座における共同祭祀が住民の組織的連帯を生む場として機能した。こうして平等院・如意庵の権勢を実質的に衰退させることに成功したという。

惣の自治を主導したのは、平野七名家と称する、坂上氏の庶流を称する有力な七家であった。七名家は杭全神社の宮座奉仕を独占し、惣年寄町年寄の地位を担うことで氏神祭礼を通じた共同体の結束を維持した。合議制を基本とするこの統治体制のもと、平野は戦国時代と並ぶ自治都市として知られるようになり、七名家を中心とした自治は江戸時代以降も保証され、幕末まで継続した。

近代以降

明治時代に入ると神仏分離令により仏教関係のものは概ね長宝寺に移された。明治3年(1870年)、熊野権現社の総社とされていた体制を改め、本来の祇園社を本社、熊野三所権現を雑社熊野神社、證誠殿を摂社、田村堂を別社として、社名を平野熊野三所権現から杭全神社と改めた。

明治5年(1872年)に郷社に列せられ、明治39年(1906年)には指定神社、翌明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定され、昭和5年(1930年)に府社へ昇格した。

連歌会は明治以降廃れていたが、昭和62年(1987年)に再び始まり、現在は毎月定期的に平野法楽連歌会が催されている。先述の通り、宝永5年(1708年)に再建された現存の連歌所は日本で唯一現存する連歌所であり、大阪市指定有形文化財に指定されている。平成11年(1999年)からはインターネット連歌の取組みを開始した。

祭神

主祭神は以下の5柱。

境内

飛地境外摂社

文化財

重要文化財

  • 第一本殿 附:棟札 1枚
  • 第二本殿 附:棟札 4枚
  • 第三本殿 附:棟札 2枚

大阪府指定天然記念物

国選択民俗文化財・大阪府選択民俗文化財

  • 杭全神社の御田植用具一式 附:翁面由緒巻一巻

大阪府指定無形民俗文化財

  • 杭全神社の御田植(杭全神社御田植神事保存会)

大阪市指定有形文化財

  • 連歌所
  • 杭全神社神宮寺仏画群 1括 13点 附:11点

大阪市指定保存樹

祭事

1月
  • 歳旦祭(さいたんさい、1日)
  • 注連縄上げ(しめなわあげ、3日)
  • 宇賀祭(8日)
  • 美保祭(9 - 11日) - えびす祭とも
  • 成人祭・とんど(せいじんさい、15日)
2月
  • 節分祭・星祭(3日)
  • 建国記念祭(けんこくきねんさい、11日)
3月
  • 献花祭(けんかさい、3日)
  • 稲荷社初牛祭(旧初牛の日)
  • 卒業祭(15日)
  • 祖霊祭(20日春分の日
4月
  • 入学祭(1日)
  • 御田植神事(13日)
  • 赤留比賣命神社例祭(16日)
5月
  • 末社祭(21日)
  • 田村祭(23日)
6月
  • 大祓式(30日)
7月
  • 夏祭無事遂行祈願祭(1日)
  • 夏祭(11 - 14日) - 平野だんじり祭
  • 赤留比賣命神社夏祭(31 - 8月1日)
9月
10月
  • 例祭(17日)
  • 鎮守の森フェスティバル(例祭直近の日曜日) - 秋祭
11月
  • 鎮火祭(ちんかさい、15日)
12月
  • 大祓式・除夜祭(31日)

現地情報

所在地
  • 大阪市平野区平野宮町2-1-67
交通アクセス

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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