松代駅
長野県長野市松代町松代にあった長野電鉄の駅
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歴史
- 1922年(大正11年)6月10日:河東鉄道により開業[1]。
- 1926年(大正15年)9月30日:河東鉄道と長野電気鉄道の合併により、長野電鉄が発足したことに伴い、河東線の駅となる。
- 1973年(昭和48年)4月1日:貨物営業廃止。
- 1983年(昭和58年)8月14日:手小荷物営業廃止。
- 1990年(平成2年)12月2日:「汽車ポッポ」の歌碑が設置される[2]。
- 2002年(平成14年)9月18日:路線名改称により屋代線の駅となる。
- 2012年(平成24年)4月1日:屋代線廃止により廃駅[1]、長野電鉄から長野市に譲渡される。
- 2013年(平成25年):島式ホーム(1・2番線)が解体。
- 2025年(令和7年)4月24日:2025年度中に駅舎解体と報道[3]。
- 2026年(令和8年)2月13日:駅舎の解体から一転し、存続させる事を表明[4]。
駅構造
単式・島式の複合2面3線のホームと留置線を有する地上駅[1]。有人駅であった[1](駅員配置時間は7:00-21:00)。戦時中は不要不急線として休止される予定だったが、松代大本営建設のために休止は返上され、貨物輸送に利用された。留置線はその際に敷設されたもの。一時期は上野湯田中間の急行列車「志賀」が河東線経由で乗り入れており、当駅にも停車していた。なお駅員に申請すれば、レンタサイクルを利用することが可能になっていた(17:00まで)。
のりば
- 付記事項
- 駅舎に一番近いホームが3番線である。
- 駅舎内部(2004年2月、改札口付近)
- ホーム(2004年2月)
- 構内(2012年3月)
- 駅舎(2017年8月、路線廃止後)
- ホーム(2017年8月、路線廃止後)
利用状況
年間乗車人数及び1日あたり乗車人員は次のとおりであった[5]。
- 2006年度 107,648人 : 295人/日
- 2007年度 106,221人 : 290人/日
- 2008年度 110,009人 : 301人/日
- 2009年度 105,466人 : 289人/日
- 2010年度 121,696人 : 333人/日
駅周辺
廃止後
代替バスの「松代駅」バス停は従来あるアルピコ交通の「松代駅」バス停の隣に設置された。松代地区内にある貴重な大正時代の建築物として、観光地と交通施設の両方で利用されている。そのため、フリーWi-Fiが整備された。
駅の設備は屋代線廃止から1年ほど残ったが、以降は駅舎と駅舎側ホームを除いて全て解体・更地化されたのち松代城など観光用駐車場に転用された。 さらに近くで三日月池の復元工事も行われている。また、2022年から2023年の間に駅前にある松の木が枯れ、その後伐採された。
代替バスは旧駅前に発着しているほか、屋代線廃止以前からアルピコ交通による松代区と長野市街地を結ぶバスの設地定もある。屋代線代替バスの一部は当バス停折り返す運用がある。
2022年にはCURIOUSの雑誌の表紙に選ばれたほか[6]、駅舎開業100周年を記念して旧駅舎で式典が開かれた[7]。今後は旧駅舎内でカフェを併設するなどの構想がある[8]。
2025年に屋代線代替バスの廃止・減便が検討されていることが明らかになった。
解体の動きと住民の反対
2025年4月24日、老朽化の問題で2025年度中に解体されると発表された[3]。長野市は2013年(平成25年)から2031年(令和13年)の間に「旧松代駅跡地周辺環境整備事業」を計画しており[9]、周囲の道路の拡張計画に合わせて解体するとしている。この計画が実行されれば、旧屋代線での現存駅舎は旧信濃川田駅のみになる。
なお、2012年の長野電鉄旧屋代線活用基本構想では耐震診断を予定しており[10]、2013年の長野市歴史的風致維持向上計画によると旧松代駅は「旧松代駅舎保存活用事業」の対象であり[11]、この計画は2023年度版も同様であった。
2016年に有志による耐震性の調査がおこなわれ、構造上は問題ないと結論を下した[12]。2025年の解体公表後に行われた市歴史的風致維持向上委員会委員による説明会でも、補強すれば耐震性は問題ないとしている[13]。
長野市は2025年度中に駅舎解体に着手する方針だが2026年1月現在においても時期は未定である。2026年2月に民間事業者などから駅舎活用について提案され、存続させる方針に転換した事を発表[4]。市は道路計画と両立させるとしているが、詳細は未定。

