松前盛広
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略歴
元亀2年(1571年)、松前藩(正式には交代寄合)初代藩主・松前慶広の長男として誕生。
天正15年(1587年)、三関広久と共に熊野参詣と称して上洛し、中央政権への接近機会の拡大、情報収集に尽力。
天正20年(1592年)、文禄の役には、父の慶広と共に肥前国名護屋に参陣。
慶長3年(1598年)、嫡男の松前公広が誕生。豊臣秀吉の死去に伴い、父の慶広と共に徳川家康に臣従。
慶長6年(1601年)に従五位下・若狭守に叙位・任官。政務は依然として慶広が執り行う。
慶長9年(1604年)、幕府より黒印制書を受け松前藩が成立した際も、父・慶広が藩主として封じられた。
慶長10年(1605年)、江戸で病気を患う。
慶長13年(1608年)1月21日に父に先立って死去した。享年38。このため、盛広の長男である公広が慶広の世子となって家督を継ぐこととなった。