柳原前光
幕末~明治時代の公家、華族
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では18歳で東海道鎮撫副総督となる。同年3月には旧幕府領であった甲斐国へ入国し、甲府城で職制を定め、11月まで城代を廃し甲府鎮撫使を務めている。明治維新後は外務省に入省、明治4年(1871年)に外務大丞として大蔵卿・伊達宗城と共に清へ渡り李鴻章との間で日清修好条規を締結する。西南戦争では勅使として鹿児島入りし島津忠義・珍彦と会見している。
その後元老院議官となり刑法・治罪法審議に従事し、駐露公使・賞勲局総裁・元老院議長を務める。1890年(明治23年)7月10日、貴族院伯爵議員に就任したが[2]、同年11月18日、枢密顧問官となって[3]、同年11月25日に貴族院議員を辞任した[2][4]。皇室典範の制定に関与したが、明治27年(1894年)に44歳で死去。
親族
栄典
- 位階
- 明治元年4月22日 - 従四位下[6]
- 明治2年7月8日 - 従四位[7]
- 明治4年4月27日 - 正四位[6]
- 1883年(明治16年)10月24日 - 従三位[6]
- 1890年(明治23年)2月7日 - 従二位[6]
- 1893年(明治26年)5月19日 - 正二位[6]
- 勲章等
- 1874年(明治7年)5月19日 - 金時計一個・絹二匹[7]
- 1877年(明治10年)12月15日 - 勲二等旭日重光章[6]
- 1878年(明治11年)4月29日 - 木盃一個[7]
- 1883年(明治16年)
- 1884年(明治17年)7月7日 - 伯爵[6][8]
- 1885年(明治18年)12月17日 - 木盃一個[7]
- 1887年(明治20年)6月18日 - 木盃一個[7]
- 1888年(明治21年)5月29日 - 勲一等旭日大綬章[6][9]
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[6][10]
- 外国勲章佩用允許