柳家枝太郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 柳家 枝太郎(やなぎや えだたろう)は落語家の名跡。元々は上方落語の名跡であった桂枝太郎と混合されやすいが別の名跡。現在は空位。 初代柳家枝太郎 - 後∶四代目柳亭左楽 二代目柳家枝太郎 - 後∶五代目柳亭左楽 三代目柳家枝太郎 - 後∶三代目三遊亭金朝 四代目柳家枝太郎 - 本項にて記述 本名嶋田 信吉別名島田 信吉生年月日1876年10月3日没年月日 (1945-05-26) 1945年5月26日(68歳没)概要 本名, 別名 ... 四代目 柳家(やなぎや) 枝太郎(えだたろう) 本名 嶋田 信吉 別名 島田 信吉 生年月日 1876年10月3日 没年月日 (1945-05-26) 1945年5月26日(68歳没) 出身地 日本 師匠 初代三遊亭圓右四代目柳亭左楽 名跡 1. 三遊亭右左喜(1900年 - ?)2. 柳亭茶楽(? - 1907年)3. 四代目柳家枝太郎(1907年 - 1945年) 活動期間 1900年 - 1945年 活動内容 音曲 家族 八代目春風亭柳枝(息子) 所属 睦会 表示 閉じる 四代目 柳家 枝太郎(やなぎや えだたろう、1876年10月3日 - 1945年5月26日)は、音曲師。息子は八代目春風亭柳枝。 経歴 最初は1900年8月に初代三遊亭圓右の門で右左喜を名乗り、同年に初高座。 その後4代目柳亭左楽の門で茶楽となる。 1907年ころに4代目枝太郎を襲名する。 大正時代に入り、睦会に所属し活躍したが55歳の時に脳溢血でそのまま高座を退いた。左楽の襲名を期待されたが音曲師だったために継ぐことはなかった。 1945年4月12日に空襲で神明町の家が焼け、一時知人の代々木幡ヶ谷に越して来たが5月25日の最後の東京大空襲の夜に米軍の焼夷弾が息子(8代目柳枝)の留守を守る枝太郎一家を直撃し戦災死した。 墓が文京区の常徳寺にある。戒名は天楽院応誉即信居士。 人物 十八番は「両国の大津絵」。客から「両国!」「両国やれ!」と声が掛かり、他にネタをやらせてもらえなかったほどであった。 脚注 [脚注の使い方]注釈 出典 参考文献 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612Xこの項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。表示編集 Related Articles