梁勇基
北朝鮮のサッカー選手
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梁 勇基(リャン ヨンギ、朝: 량 용기、1982年1月7日 - )は、大阪府泉北郡忠岡町出身の元プロサッカー選手[1]。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。在日朝鮮人で元北朝鮮代表。2025年現在はベガルタ仙台のクラブコーディネーターを務める。
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北朝鮮代表での梁勇基 | ||||||
| 名前 | ||||||
| カタカナ | リャン ヨンギ | |||||
| ラテン文字 | RYANG Yong Gi | |||||
| ハングル | 량용기 | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1982年1月7日(44歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 173cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1997-1999 |
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| 2000-2003 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2004-2019 |
| 522 | (76) | |||
| 2020-2021 |
| 29 | (0) | |||
| 2022-2023 |
| 26 | (0) | |||
| 通算 | 577 | (76) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 2008-2017 |
| 24 | (7) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
来歴
プロ入り前
高卒でのJリーグ入りを目指したが、外国籍枠の制限によって断念。「外国籍扱いしない選手」(いわゆる「在日枠」)選手としての認定を受けるために日本の大学への進学を決め[2]、2000年に阪南大学へ進学、サッカー部に所属した。
大学での活躍が認められ、ジェフユナイテッド市原への内定が見込まれていたが、市原は在日枠選手として金位漫を登録していたため破談[3][4]。その後、2004年2月に川崎フロンターレのキャンプに参加したが、契約には至らなかった[4]。
ベガルタ仙台(1次)
Jリーグを諦めて韓国・Kリーグ入りを目指そうと、渡航および国籍変更手続きの準備をしていた際に[3]、J2へ降格したばかりのベガルタ仙台を高校時代の監督から紹介され[4]、テスト生として入団。プロ契約に至った。
2004年の1年目からチームの即戦力として起用され、リーグ戦32試合に出場。翌2005年にはレギュラーとして完全に定着し、2007年以降は5年連続でリーグ戦全試合出場を果たした。2008年、2009年、2013年はチームの主将を務めた(2013年は共同主将の一人[注 1])。
東日本大震災直後の2011年3月29日に開催された「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ」では[注 2]、日本国籍以外の選手として唯一、Jリーグの選抜チーム「Jリーグ TEAM AS ONE」のメンバーに選出され、サッカー日本代表と対戦した。
2018年4月28日の北海道コンサドーレ札幌戦(ユアテックスタジアム仙台)でJリーグ通算500試合出場を達成した。
2019年12月28日、契約満了による退団が発表された[6]。
サガン鳥栖
ベガルタ仙台(2次)
2022年1月5日、ベガルタ仙台に完全移籍で復帰することが発表された[8][9]。
2023年12月18日、現役引退が発表された[10]。
現役引退後
引退後、ベガルタ仙台のクラブコーディネーターに就任した[11]。
2024年12月14日、ユアテックスタジアム仙台で引退試合が開催された[12]。ベガルタ仙台としてクラブ史上初の引退試合開催となった。
2025年3月25日、ベガルタ仙台での現職を継続しながら、アイリスオーヤマサッカー部「IRIS.F.C」のヘッドコーチに就任することが発表された[13]。
代表歴
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表にたびたび招集され、2008年の東アジア選手権や2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選にも出場した。しかし、守備的戦術を採り体力と競り合いの強さを重視する代表の中では、持ち味の攻撃的センスを発揮することは難しく、また2部リーグでプレーしていることが軽んじられたため[14]、重用されることはなかった。2009年に北朝鮮代表が東アジア選手権予選で敗退した際、同予選に出場した同じ在日朝鮮人の鄭大世が、梁の代表招集を待望するコメントを出している。
北朝鮮代表が44年ぶりのW杯に挑む2010年、いわゆるBチームであるが2年ぶりに代表に招集され、AFCチャレンジカップ2010優勝に貢献。大会得点王およびMVPを獲得した。同年5月に2010 FIFAワールドカップの北朝鮮代表候補(24名)に選出されたが、予備登録締め切り日までに手続きが遅れた影響で予備登録メンバーにも登録されず、直前合宿に参加したものの最終エントリーメンバーに残れなかった。金正勳監督に対して梁のメンバー入りを強く主張していた在日本朝鮮人蹴球協会の李康弘理事長は、選手枠に空きが無いならと役員枠での帯同を要求し[15]、事実上のサポートメンバーとして引き続き同代表に帯同、南アフリカへ渡航した。
同年12月24日、AFCアジアカップ2011の北朝鮮代表に選出され、グループリーグ全3試合に出場した(うち2試合で先発)。2011年は2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選の北朝鮮代表に選出。日本戦(アウェイのみ)にも出場したが、同予選では特に目立った活躍はできず、チームも最終予選に進めなかった。
2014年12月16日、AFCアジアカップ2015の北朝鮮代表に選出され、グループリーグ全3試合に先発出場。第2戦のサウジアラビア戦で先制点を挙げた。
エピソード
所属クラブ
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 阪南大 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | |||
| 2003 | 14 | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||||
| 2004 | 仙台 | 30 | J2 | 32 | 2 | - | 2 | 0 | 34 | 2 | |
| 2005 | 39 | 6 | - | 1 | 0 | 40 | 6 | ||||
| 2006 | 10 | 42 | 4 | - | 1 | 0 | 43 | 4 | |||
| 2007 | 48 | 8 | - | 1 | 0 | 49 | 8 | ||||
| 2008 | 42 | 13 | - | 0 | 0 | 42 | 13 | ||||
| 2009 | 51 | 14 | - | 4 | 1 | 55 | 15 | ||||
| 2010 | J1 | 34 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 37 | 11 | ||
| 2011 | 34 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 38 | 4 | |||
| 2012 | 27 | 3 | 5 | 1 | 1 | 0 | 33 | 4 | |||
| 2013 | 30 | 4 | 2 | 0 | 4 | 1 | 36 | 5 | |||
| 2014 | 33 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 39 | 2 | |||
| 2015 | 33 | 3 | 5 | 1 | 3 | 0 | 41 | 4 | |||
| 2016 | 26 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |||
| 2017 | 24 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 26 | 2 | |||
| 2018 | 14 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 19 | 0 | |||
| 2019 | 13 | 0 | 7 | 1 | 2 | 0 | 22 | 1 | |||
| 2020 | 鳥栖 | 50 | 22 | 0 | 2 | 0 | - | 24 | 0 | ||
| 2021 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |||
| 2022 | 仙台 | 10 | J2 | 15 | 0 | - | 1 | 0 | 16 | 0 | |
| 2023 | 11 | 0 | - | 2 | 0 | 13 | 0 | ||||
| 通算 | 日本 | J1 | 297 | 29 | 39 | 3 | 15 | 1 | 351 | 33 | |
| 日本 | J2 | 280 | 47 | - | 12 | 1 | 292 | 48 | |||
| 日本 | 他 | - | - | 4 | 2 | 4 | 2 | ||||
| 総通算 | 577 | 76 | 39 | 3 | 31 | 4 | 647 | 83 | |||
その他の公式戦
- 2008年
- J1・J2入れ替え戦 2試合1得点
出場歴
- Jリーグ初出場 - 2004年4月11日 vs サガン鳥栖(鳥栖スタジアム)
- Jリーグ初得点 - 2004年6月12日 vs 京都パープルサンガ(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
指導歴
- 2025年4月 -
IRIS.F.C(アイリスオーヤマ公式サッカー部) ヘッドコーチ
代表歴
- 国際Aマッチ初出場 - 2008年2月6日 2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 vsヨルダン代表(アンマン国際スタジアム)
- 国際Aマッチ初得点 - 2010年2月17日 AFCチャレンジカップ2010 vsトルクメニスタン代表(スガサダシュ・スタジアム)
出場大会
- 東アジアサッカー選手権2008
- 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
- AFCチャレンジカップ2010(スリランカ)
- AFCアジアカップ2011 (カタール)
- 東アジアカップ2013 予選2次ラウンド(韓国)
- AFCアジアカップ2015 (オーストラリア)
- AFCアジアカップ2019・3次予選
試合数
- 国際Aマッチ 26試合 7得点(2008年 - 2017年)[19]
代表での得点
| # | 年月日 | 開催場所 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 大会名 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2010年2月17日 | スガサダシュ・スタジアム | △1-1 | AFCチャレンジカップ2010 | ||
| 2. | 2010年2月21日 | ○3-0 | ||||
| 3. | ||||||
| 4. | 2010年2月27日 | △1-1.5PK4 | ||||
| 5. | 2010年12月31日 | アブドゥッラー・ビン・ハリーファ・スタジアム | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
| 6. | 2012年12月9日 | 香港スタジアム | ○4-0 | EAFF東アジアカップ2013予選2次ラウンド | ||
| 7. | 2015年1月14日 | メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム | ●1-4 | AFCアジアカップ2015 |
タイトル
クラブ
- 阪南大学
- 総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント:1回(2001年)
- 関西学生サッカーリーグ1部:2回(2002年、2003年)
- 関西学生サッカー春季リーグ:2回(2000年、2002年)
- 関西学生サッカー選手権大会:1回(2003年)
- 大阪サッカー選手権大会:1回(2000年)
- ベガルタ仙台
- Jリーグディビジョン2:1回(2009年)
代表
- 北朝鮮代表
- AFCチャレンジカップ:2回(2010年、2012年)
個人
- AFCチャレンジカップ得点王:1回(2010)
- AFCチャレンジカップ最優秀選手(MVP):1回(2010)
- Jリーグフェアプレー個人賞:1回(2011)
- Jリーグ優秀選手賞:1回(2012)
- Jリーグ月間ベストゴール:1回(2015)
- Jリーグ功労選手賞(2024)
引退試合
試合結果
出場選手
2024シーズン時点で現役の選手に下線を付す。ベガルタ仙台の在籍経験がないのは李漢宰、安英学の2名である。
ベガルタ仙台レジェンズ [2011-2013]
- 監督:手倉森誠
- GK:16.林卓人、21.関憲太郎
- DF:2.鎌田次郎、3.渡辺広大、4.蜂須賀孝治、5.石川直樹、25.菅井直樹、29.島川俊郎、29.上本大海
- MF:6.角田誠、8.松下年宏、10.梁勇基(前半)、11.関口訓充、14.高橋義希、15.太田吉彰、17.富田晋伍、23.田村直也、31.斉藤大介
- FW:9.中原貴之、18.ウイルソン、24.赤嶺真吾
梁勇基フレンズ