楊炯

中国の唐代初期の詩人 From Wikipedia, the free encyclopedia

楊 炯(よう けい、永徽元年(650年)頃 - 𨭻𨲢元年/𠀑冊万歳元年(695年)頃[1][注釈 1])は、中国代初期の詩人。名はとも作る[5]王勃盧照鄰駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられる。

楊炯・『晩笑堂竹荘畫傳』より

略伝

華州華陰県の出身。祖父は楊虔安(楊善会の弟)。

幼時から慧敏でよく文章を作り、661年に神童に挙げられ校書郎を授けられた。681年、崇文館学士になった。

則天武后の時代に梓州司法参軍に左遷されて、のち盈川県の県令となった。著に『盈川集』がある。

漢詩

従軍行
烽火照西京  烽火は西京を照らし
心中自不平  心中 自ら平らかならず
牙璋辞鳳闕  牙璋 鳳闕を辞し
鉄騎繞竜城  鉄騎竜城を繞(めぐ)る
雪暗凋旗画  雪暗くして旗画は凋し
風多雑鼓声  風多くして鼓声みだる
寧為百夫長  寧ろ百夫の長たらん
勝作一書生  一書生となるに勝れり
夜送趙縦
趙氏連城璧  趙氏連城の璧
由来天下伝  由来天下に伝う
送君還旧府  君が旧府に還るを送れば
明月満前川  明月は前川に満つ

脚注

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