楽就 From Wikipedia, the free encyclopedia 楽 就(がく しゅう、? - 197年)は、中国後漢時代末期の武将。 この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。 死去 建安2年(197年)拼音 Yuè Jiù主君 袁術概要 楽就, 後漢 ...楽就後漢死去 建安2年(197年)拼音 Yuè Jiù主君 袁術テンプレートを表示閉じる 正史中の事跡 袁術配下。建安2年(197年)9月、曹操は自ら陳国に進攻して来た袁術を討伐しようとした。これに対して袁術は、橋蕤に加えて李豊・梁綱・楽就の3将を陳国に残留させ[1]、自分だけ寿春へ逃げ帰ってしまった。楽就は、他の将軍たちと共に曹操軍を迎撃したが、敗北して戦死した。 物語中の楽就 小説『三国志演義』では、李豊・梁剛(正史の梁綱)と共に呂布討伐の際に袁術軍各軍の督戦官を務めている。曹操らが寿春に攻め込んで来ると、淮水を渡って逃れようとする袁術の命により、楽就は李豊・梁剛(正史の梁綱)・陳紀と共に寿春城を固守している。しかし、曹操軍の猛攻の前に城が陥落し、楽就らは城内の市場へ引き出されて斬首されてしまう。 注 [1]『後漢書』袁術伝によると、張勲も留まったとされる。 参考文献 『後漢書』列伝65袁術伝 『三国志』魏書1武帝紀 『三国志演義』 Related Articles